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根が

貧乏性なせいで、多少まとまった金が手に入るとすぐ使いたくなって仕方ない性分ですこんちわ。
というわけで、なけなしのボーナスをはたいて、私はライカボディの中でM3を除けば唯一「いつかは絶対に欲しい」と思っていた、Leica M9-Pを勢いに任せてヤフオクで落としてしまったわけです。
殆ど使用されて無いデッドストック並みの一品。

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…どっかで聞いたフレーズですが、
まぁなんだ。もう本当に行き着くところに逝ってしまったわけですが、これは強いて言うならば、haseさんがD600を買ったのが悪い(ぉ

さてLeicaのM9-P、これが今ままで私が使っていたM8とどう違うか。
センサーサイズがAPS-Hからフルサイズへ。あとデザインがかっこいい。以上それだけ。

…改めて書くと、我ながら狂ってますね。

しかもM9系には、その肝心のCCDセンサーにクラックが自然発生するという恐ろしい持病があります。いつ爆発するか分からない時限爆弾(これは初期型に多いとの噂)また更に、つい先日、センサーの保護ガラスが腐食するという新たな核爆弾の存在もライカからアナウンスされました。(こちらはまだ詳細不明)

……改めて書くと、我ながら(ry

まぁどちらの問題も、無償修理対象ですから良いと言えば良いんですが。私のはちゃんとライカジャパンの正規品ですしね。

と、恐ろしい話もありますが、その写りは折り紙付き。
実際にどんな描写をするかは…また次回の撮影ツアーで確かめましょう。

以上、もうこれ以上のIYHはしないと心に誓う師走の一日。

京都紅葉ツアー後編

というわけで、人が溢れかえる光明院。の、床の間に大変美しい一輪挿しがあったので

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このSummilux35mmASPHは不思議なレンズでして。同じ開放の描写でも、例えば冒頭の水ようかんのように、まさしく現代の最新スペック的な先鋭な描写をする一方で、この花のように、まるでオールドレンズのような得も言われぬ収差を纏ったりと、性格がコロコロと変わります。
でも得てして「こういう描写が欲しい」と思う意図を酌んでくれるかのように描写しますので個人的にはたまりません。これ一本でいける。そう思わせる力がこのレンズにはありますね。

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光明院の隠れた紅葉。玄関土間にこのセンス。実に心憎い。

光明院を後にした我々。本当は京都の紅葉スポットで一、二を競う「東福寺」に行きたかったのですが紅葉の季節の東福寺に向かうなど自殺志願者以外の何物でもありませんので、東福寺の裏の泉涌寺に向かいます。

…が、伏見稲荷の登山の影響もあり、もうこの時点で我々の空腹は限界を超え、撮影どころではありません。拝観料を払って境内に入るも、庭園へは別料金と告げられ心が折れまして。同所にあった蕎麦屋で500円のそばを食べて満足し、泉涌寺をあとにすることに何ら躊躇いは有りません。

しかし、泉涌寺から京阪東福寺駅に向かう道すがら、入館料タダに引き摺られ来迎院、今熊野観音寺に。
で、ここの紅葉が凄かった。ですが、まともな写真が撮れないwほんと紅葉を撮るって難しいですね。

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スポットライトを探して。
こういう分かりやすい光を探すのも、なかなか難しかったりします。

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スポットライトを探して2
こういう分か(ry

しかしこの2枚とも構図が気に入らない。
もう少し主題を画面左に置いてバランスが取れるよう撮る場所を考えるべきですね。
前回の反省が全く生かされてない。光だけを追った失敗例です。

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幹に引っかかった紅葉。
欲を言えば、もう少し寄りたいのですが、そこはレンジファインダーの限界。これが最短撮影距離。

…しかしほんと、後から見ればいくらでも文句を付けられるのに、何故その場でそれに気づかないのでしょうか。
もう少しいい加減ちゃんと考えて撮るようにすべきですね。
風景やモチーフに「撮らされている」写真が多すぎです。もっと「撮らないと」いけない。
頑張りましょう。

次回年始の予定は、雪を探して京都の北に行く予定です。でも年始って…あと一ヶ月とちょっと?え??

晩秋の京都紅葉狩りツアー

というわけで、前回のツアー時に予告をしていました京都紅葉撮影ツアー
いい加減京都も行きつくした感がありますが、これまで抜けていた伏見稲荷をターゲットに据えました。晩秋の京都。紅葉の名所は数多ありますが、伏見稲荷は紅葉の名所とは結び付きません。そのような言説は聞いたことがない。即ち!人が少ないに違いない!そう信じての選定でしたが、果たして。

例によって私のカメラはLeica M8+Summilux35mmASPHの一発勝負。
リコーのGXR+Hektor7.3cmF1.8(70年落ち)も持っていきましたが、換算100mmオーバーは長すぎたので使えませんでした。

さて、晴れ渡った3連休中日の日曜日。朝の9時半手前に京阪伏見稲荷駅に降り立った私は、同じ電車に乗っていたHaseさんを捕まえ、惑星同盟を待つ間に取り敢えず何枚か駅周辺で試し撮り。

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駿河屋さんとかいう時代劇の悪役のようお名前のお店(失礼)が実にいい雰囲気だったので一枚。
ほんと何も考えていないどうでもいい写真ですが、開放なのにこの切れるような先鋭さと独特の質感と立体感。流石Summilux35mmASPH

さていつぞや話したかもしれませんが、私はガキのころから結婚する辺りまで、必ず伏見稲荷に初詣に詣でる習慣がありまして、いつも大晦日の夜に集まり年越したらその足でJRに乗車、伏見稲荷に詣でてました。従って、夜中および気が狂わんばかりの人混みの伏見稲荷には十数回詣でましたが、真昼間のしかも人が殆どいない(初詣比)伏見稲荷は実のところ、今回が初めてでした。結果、伏見稲荷ってほんとはこんな風景だったんだという発見が随所にw

さて、冒頭に申しましたが、京都的紅葉名所とは縁遠いはずの伏見稲荷、しかしどうして

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この真赤さ。シャアも裸足で逃げ出す勢い。

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取り敢えず、伏見稲荷詣での証明写真wなんだかんだ言っても人が多く無人の千本鳥居は撮れませんでした。

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この真赤さパート2。もし伏見稲荷が京都以外にあったなら、超紅葉の名所として名高かったこと請け合い。

というわけで、伏見稲荷山頂にいつものように登るものの寄る年波には勝てず疲労困憊。きなこアイスクリームを食べ下山。引き続き、進路を北に取り光明院に到着。ここも例によって、あの「そうだ京都、行こう」で取り上げられただけあって、人が大変多かったです。

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もう 京都、来るな。

……5枚になりましたので後篇に続きます。

ちょっと前に

引っ越してきたマンションの一つ下の階の人が、恐らくは何かの宗教的行為だと思われるのですが、カンカンカンカンと何かを叩く音を毎夜響かせまして困ってますこんちわ。
ずーっと叩くのではなく、数十秒叩いては静かになり、暫くしたらまた数十秒…というループを延々繰り返します。(静かというか、まぁおそらくその間に何らかの呪文を唱えているんでしょうが)
それが大体いつも8時くらいに始まって、11時くらいまで続きます。しかも毎日。
で、一度など私が夜中まで飲んで帰ってきた時、なかなか寝付けずゴロゴロしていると夜中の1時ちょうど、2時ちょうどにまるで時報のように同様の音を響かせてまして、もういい加減気持ち悪くも腹立たしく、ピンポンダッシュでもしてやろうかと思いましたが、思いとどまりました。呪われたらイヤだし。
まぁどんな神を信じようが個人の勝手で好きにして頂いて結構ですが、ちょっと常識をわきまえてほしいものです。
あとしみじみ思うのですが、この種の祈りの大概は、凡そ現世利益を願うものが多いと思われますが、これだけの苦行を毎日毎日続けられるのであれば、同じだけの時間を現実的な努力に振り向けたら、大抵の事柄は実現すると思うのは私だけでしょうか。
でもこの種の悩みって、賃貸だからマシですが、分譲や戸建だったらと思うと恐ろしいです。そりゃ揉め事も起こるわけですね。

もう何年も

ここで仕事についての話をすることはなかったように思えますが
たまには仕事の話でも。
私は転職して以来、会社の中で最も諸事諸々大変な第一線で営業をやってきましたが、ここ一年は部署が変り少しばかり平穏な日々を送っていました、が、この10月からまた呼び戻されることになりました。
しかも前より更にしんどい営業所に。
昔から私は、会社の中でサバイバルするには希少性のあるスキルを獲得すべき、という考えの下で色々してきましたが、その結果、こいつなら何やらせても大丈夫、という変な評価をまわりに与え、私の希望を無視した人事が行われること多少。
やはり、自分の希望する人事を行わせるには、圧倒的な結果を出さないといけないということが今回の件で骨身に染みましたので、今までのような「如何に最小の労力で最大の結果を出すか。で、余った時間で自分の好きな仕事をする」というスタイルを少し改める必要があるように思われます。

気が付けば。前の仕事を6年、今の仕事を6年。結果、干支が一回り下の新人が入ってくるような歳になってしまいました。
前の会社にいた20代の頃、当時の私は当時の私なりに色々なことを考え行動をしてきました。30代も後半に入る今、1年間ではありましたが、目の前の仕事以外のことも考えられる時間を得られたことは非常に有意義だったと思います。
20代の努力は、社会人としての最低限のスキルを得られるかどうか。
30代の努力は、社会人としての器の大きさを決める物だと、私は思います。
正直げんなりするのも事実ですが、ここが踏ん張りどころですので、少し頑張ってみたいと思います。人生って大変ですね。

写経

ってありますよね。昨今では精神修養や精神的デトックス(?)的に活用されてますが、本来は、布教のため。時代が下ったあとはその宗教の奥義を会得するために行う修行、或いは供養のために行われるものです。
同じように写本というのも、グーテンベルクさんが頑張るまでは、例えば聖書やその他、膨大な労力を掛けてでも伝え広める価値と必要がある書物に対して行うものでした。

さて、私の家の近くの本屋に、どうにも目障りで仕方が無いものがありまして。レジ付近に置かれている「天声人語 書き写しノート」なる代物です。
もうね。

人様に、自分のところの社説を、金を払わせて、書き写させる。

心底気持ちが悪い。
普通の神経ではこんな厚顔無恥な行いは到底不可能ですね。
彼ら独特の、一般人を見下し自分達が啓発してやるという傲慢極まる意識と歪みきった使命感が透けて見えて仕方ありません。あの新聞社は報道機関ではなく政治結社ですが、もはやそれさえ越えて宗教団体と化してますね。


…と、上記は今から1年以上前に、書いたはいいけど面白いオチが思いつかず放置しておいた文章なのですが、さてここのところ、朝日がえらいことになってます。
慰安婦捏造と吉田調書捏造問題ですが。
そもそも普通の「捏造」ってのは、何か不祥事をやらかしてしまって、それを隠そう、或いは少しだけでもマシに見せかけようとして、行うものです。或いは虚栄心から、ありもしない成果を吹聴したり。
これらは決して褒められた行為ではありませんが、そういった心の動きは、まぁ理解できなくもありません。
一方で、朝日が繰り広げてきた、いや今も日常的に繰り返す諸々の行為は
「現実には起こらなかった蛮行愚行をでっち上げる」
というシロモノです。こういうのは普通、戦争相手の国を貶めるために行うプロパガンダに属するもので自国に対して行う類のものではありません。
朝日の歴史を振返れば、戦前は盛んに戦争を煽り、戦中は大本営発表を何の批判もなく拡大して垂れ流し、戦後はそれら行為を、彼らが好む言葉で言うところの「総括」することも無しに、それどころか被害者面して開き直り、その後は延々と進歩的知識階級(笑)として、自分達の思想に国民を洗脳しようと試み続けてきました。
しかし、今日、ついにその欺瞞と倣岸と妄執とがようやく満天下に晒される日を迎えたわけです。
私には、事ここに至ってもなお朝日新聞を購読する信者の皆さんと、広告費という名のお布施を続ける企業が信じられないのですが。まぁどんなカルトも、はまるより抜け出すほうが難しいですから朝日の呪縛が本当に解かれる日が来るのか、正直甚だ疑問です。
100年近く積み重ねてきた朝日の大罪を裁けるのか。それとも珊瑚の時のようにしばらくすれば風化するのか。
私には後者のように思えますが、そうならないことを切に願う次第です。

暦の上では

とっくに立秋をすぎて秋なわけですが、私にとって欠かすことのできない秋の風物詩の一つにキリンの「秋味」があります。

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M8+Summilux35mmASPH F1.4

ビールに関して言えば、私はドライよりラガー派。
ちなみにヱビスよりプレモル派。プレモルより琥珀ヱビス派だったりします。

琥珀ヱビス>プレモル>ラガー>ヱビス>>>>>>>>超えられない壁>>>>>>>>ドライ

こんな感じ。
そんな私的に、ラガーの強さに上質なコクを加味した秋味はジャストフィット。しかも秋味は所謂プレミアムビール系と違って通常ビール価格です。素晴らしい。ちゃんと今年の秋味も美味しかったですので、大瓶をケースで買います。普通のビールならどうでもいいですが、美味いビールは瓶で飲まないといけません。
というわけで、酒屋さんで見かけたら皆さんも是非一度ご賞味ください。秋の料理に合いますよ。

真夏の高雄その2

この日は陽が注いだのは午前中のみで、午後は曇り(高雄では俄か雨)でした。曇りの日に写真を撮るのには、少なくとも私的には最悪のシチュエーションです。それでも何とか色々と面白い光を探しますが

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所詮こんな感じ。別に面白くありませんね。残念。
さて高雄の頂上(?)まで登った我々。たまには観光的なイベントもしてみようということで

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瓦投げに勤しみました。厄払い的な物らしく、飛距離を競うようです。予想通り回転が掛り全く飛びませんでした。たまには記念写真的写真も。新調したカメラバッグも一緒に。このビリンガムって会社は、ライカとコラボしライカ専用の鞄も出してますが、これより数段小さい上に値段はこれの3割増しというボッタクリ商売。ライカだけでなく5D3も使う私としてはある程度のサイズも欲しいという訳で、こちらのハドレープロを購入。思いのほか軽く作りもしっかりしており流石カメラバッグの老舗です。

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朽ちた木のテーブル。良い質感です。廃墟に見えますがシーズンはここでスイーツが振る舞われるとか。

さて、高雄を満喫した我々。いつものように下賀茂神社に向かいます。

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以前のツアーの時と全く同じ構図、同じように開放です。Planarとは全く違います。Planarと違って、遠景をわざと開放で撮って遊んだりするレンズではありませんね。

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良い縁がありましたでしょうか。
古本市ということで、人がごった返していた下賀茂神社。神社には和装が似合いますね。

というわけで撮影ツアーも終了し、その後、例によっていつもの店で飲んだくれました。次回ツアーは、伏見稲荷周辺。時期は秋でしょうか。大変面白そうですね。
さて今回はSummilux縛りでレンズ性能テストを兼ねたわけですが、そんなことより今回のツアーで気付いたのですが、どうしても私は被写体を真正面から写す癖があるようですね。特に最後なんかが典型例。これをもう少し面白く撮るなら、もっと左に回って、浴衣の子達を手前に少しボカして後ろのえんむすび看板にフォーカスすれば、もっともっと奥行と物語が生まれているはず。そうです。私の写真には奥行がない。凄く平面的なんですね。大変いいことに気が付きました。
次からもっと意識してみることにしましょう。頑張りましょう。

根が

貧乏性なせいで、多少まとまった金が手に入るとすぐ使いたくなって仕方ない性分ですこんちわ。
というわけで、なけなしのボーナスをはたいて、私は現行ライカレンズの中でノクティルックスを除けば唯一「いつかは絶対に欲しい」と思っていた、SUMMILUX-M 1:1.4/35mm ASPH.を勢いに任せてヤフオクで落としてしまったわけです。

さて、長期休暇恒例の京都撮影ツアー。今回のメインは詩仙堂あとはノープランw
出町柳に集合し車で暫し、目的地に到着です。以下写真は全てSummilux 35mm

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そうだ京都、いこう。的な。
超がつく露出オーバーw撮り直そうとするも、直後この女性が姿勢を崩したので諦めました。
35mmレンズをM8で使うと換算約46mmほぼ標準レンズとして使えます。流石は現行レンズ。開放でも見事に解像しますね。ただやはりAPS-HですのでSummilux35mmの真骨頂たる圧倒的なあの立体感がスポイルされてるのが残念です。

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写真では涼しげですが、真夏の京都ですので、当然死ぬほど暑いです。
本来はもっと広角で撮るべきところですね、SWHとかSWHとかSWHとか。買うか。やっぱり。
涼しげに見える縁側でこれからのプランを模索します。高雄、常照皇寺、そのまま飲みにいくなど議論は白熱し、取り敢えず飯にしようということで、大原の奥にあるエビフライが超美味な「うっどぎゃらりい」にて昼食。相変わらず美味いです。議論の結果、京都を東西に横断することになりますが、ツンデレ重巡こと高雄&神護寺に行こうということで決定。
到着後車を置いて登山(?)です。でも流石は山ですね。京都市街に比べると圧倒的に涼しい。高雄は初めてでしたが、参道(?)は旅館が連なっており、なんちゃって貴船の様相です。


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ひなびた感じ。
ボケ味テストその1。前ボケはまぁまぁですが、少し後ろがざわつく感じですね。Summilux35mmの系譜通りです。

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本当に営業しているのか甚だ謎。そもそも何屋さんなのかも全く謎。

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蜘蛛。釣果はサッパリな様子。
ボケ味テストその2。さっきのとは打って変わり後ろが実に美しくボケます。

というわけで、5枚になりましたので後半に続きます。

NHK教育の

幼児を虜にする手管は異常。
いやほんと。いないいないばぁ最強ですよ。泣く子も一瞬で黙ります。ワンワンすげぇ
ワンワンと言えば、中の人(声だけじゃなく文字通りの中の人)って声優のチョーが務めてますが、チョーって「たんけんぼくのまち」の「チョーさん」だったって皆さんご存知です!?
wiki先生で知って、私は今年一驚きました!!おもしろ地図を広げてる場合じゃねぇ!!
……幼児の親以外全く意味が分からないですね。すいません。余りに衝撃的だったのでつい。
あと、かいじゅうオッスが頭から離れません。助けて。

私は

サッカーのことは詳しくないのでよく分からないのですが。
ここ数年、日本のサッカーのレベルが上がったとよく言われてますが、結果、ダメだったようですね。
でも、私は思うんですけど、日本のサッカーのレベルはもちろん上がっているでしょうけど、世界のサッカーのレベルも当然上がってますよね?
世界との差を縮めようと思うと、世界のレベルアップのスピードを更に上回らないといけないわけですよね?
となると要するに、ヨーロッパの1部リーグや南米の連中の進化のスピードをJ1の人たちは上回らないといけない、という事ですよね?

…無理じゃね?

ど素人目に見ても、難しい気がします。
例えばロッシ…じゃないやメッシのあのゴールとか見てると、到底勝てる気がしません。

いずれにせよ、これから戦犯探しと無責任な誹謗中傷が渦巻くことになるのでしょうけど、冷静に考えて、そもそも無理な気がします。
今より以上に日本の選手がヨーロッパに行って活躍し、日本代表の全員が欧州帰りとかそういうレベルになるまで、彼らと対等に戦うのは無理なのではないでしょうか?

まぁとりあえず、日本は終わってしまいましたが、W杯はこれからが本番です。ど素人が見ても思わず叫ぶような、あんなゴールをまだまだ期待できるわけです。文句もいいですが、世界最高の素晴らしいプレーを純粋に楽しむほうが健全ですので私はそっちを取ることにしたいと思います。ちなみに私はドイツ推しです。ドイツ頑張れ。

その昔

石見銀山が世界遺産登録をされた際に、歴史をある切り口から横断して眺めてみることの重要性と面白さのお話をした記憶があります。あの時は「音楽」という切り口だったと思いますが、ここ数年の私はご覧のようにカメラにはまってすっ転びました。
カメラを趣味にしますと「光と影」そして「構図」という物に拘らざるを得なくなります。そしてその道の偉大なる先達は、と見渡してみますと、どうしても西洋絵画、特にルネサンス期からバロック。そして印象派の各巨匠の足跡を自然と辿るようになります。
ダ・ヴィンチの筆から始まった「闇」の表現。それを鬼才カラヴァッジョが異常なまでに劇的に昇華させ、ラ・トゥール、レンブラント、ベラスケスらを経てフェルメールが完成させる西洋絵画史上の光と闇の相克の歴史。そして印象派に至って、遂にキャンバスから闇が放逐される光の勝利の物語。

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ダ・ヴィンチ
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カラヴァッジョ
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フェルメール

絵画に限らず西洋芸術はどうしても「キリスト教」と深い結びつきがあります。教会が最大のパトロンだったというミもフタも無い事情もありますが、西洋人の精神の最も深い所にキリスト教的な諸々があったわけですから、その桎梏からはそう簡単に逃れられなかった、と捉えるべきでしょう。
ただ、キリスト教的テーマから離れれば離れるほど、「闇」ではなく「光」が強くなる、というのが何とも興味深いです。
一方、構図の話となると、俄然印象派の絵が面白いです。それまでタブー視されていたような、あるいは西洋絵画的な発想とはかけ離れた表現が次から次に出てきます。しかしそれが生まれた背景には、皆さんご存知のように、日本の浮世絵があるわけですね。
例えば。これは最も有名な例えですが、マネの絵に「笛を吹く少年」というものがあります。
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現代の我々から見れば、何が革新的でタブーを打破した作品なのかサッパリ分かりませんが、このように「背景が無い」ということは、当時の西洋絵画的には革命だったんです。そして、この表現の大本にあるのが浮世絵。
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喜多川歌麿の大首絵(モデルの顔をアップにして背景無し)にあります。で、何故歌麿が大首絵に取り組んだのか。
そこには、一切の華美を禁じた松平定信の寛政の改革があります。装飾過剰な浮世絵を否定された歌麿と版元の蔦谷重三郎が繰り出した逆転の発想、それが大首絵でした。

寛政の改革が回りまわって、西洋絵画を革新させる。

こういうのが歴史を知る醍醐味。最も面白いところではないでしょうか。
カメラから始まって、西洋絵画を通って最終的に浮世絵に帰る。訳が分かりませんがそういう楽しみ方も有りかもしれません。
しかし、歴史とその背景と繋がりを理解するのは大変面白いのですが、その知識がさっぱりカメラの腕に結びつかないのはどういうわけか。
まぁなんだ。頑張りましょう。


※上段で触れた、西洋絵画における光と闇の歴史は
「フェルメールの光とラ・トゥールの焔」
という本が非常に分かりやすく面白いです。是非お勧め。

番外編

と、言いながらも、動き回る子供は私の腕ではサッパリ捉えられませんw
たまには折角の5D3の超絶AF性能と、EF70-200mmF2.8L2も使いましょう。

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70mmF4

ズームレンズでこれかよ。21世紀って凄いですね。
まぁMF単焦点に拘らず適材適所でいきましょう。ええ。

湖北撮影ツアーその2

はい。何故わざわざこんな分かりにくい二分割をするかという話ですが、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれませんが昨年の大晦日。私は飲んだくれた勢いに任せて念願だったLeicaのAPO-MACRO-ELMARIT-R 1:2.8/100通称「AME」を落札したわけです。(AMEの詳細説明は省きます。ググって頂ければ物好きな人が物凄く丁寧に色々書いたHPが雲霞のごとくわいて出てくると思いますので、そちらをご参照ください。)
しかし当然正月撮影ツアーには間に合わず。今回ようやく実戦での性能評価試験が叶ったと、そういう次第。見せて貰おうかLeicaのAMEの性能とやらを。

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おそらくF4だったと思います。菅山寺近くの池にて。

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「The 印象派」
AMEをハッセルブラッドに着けて。…勿論大嘘。掟破りのトリミング。いや「あの方」もスクエアは許されるって言ってたし。

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ヨドバシの作例で出てきそうな写真w
単なる枯れ落ち葉ですが、何とも言えない質感だったので。

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超逆光耐性試験。出町柳周辺。鬼のような西日を真正面に嫌がらせのようなシチュエーションで。

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今回の旅ではありませんが、1月に上賀茂神社に行った際に撮ったもの。本領たるマクロ域。

というわけで、AMEは伊達じゃないという結論に至りました。流石はLeica-Rの最強レンズと言われるだけはあります。
恐ろしく懐が深いですね。どんな目的にも使えます。これは使い込む必要があります。これまで撮影ツアーの度に色々レンズを持ち出しましたが、今回でようやく必携の3本を確定できました。
Distagon 1.4/35
Planar 1.4/50
そしてAME
場合によってはSummicron-R 50mmも欲しいですが、基本この3本で決まりです。
Planarを軸に今後はこれでいきましょう。もうあとは私の腕次第w

長期休暇恒例

撮影ツアー。2014年度GW編はついに京都を離れ、滋賀県北部余呉湖&菅山寺という超マイナーツアー(失礼)となりました。
例によって出町柳に集合しhaseさんのRX8で出発。大原を抜け峠を越えて湖西道路という観光客は絶対使わないルートを使用し渋滞知らず。途中、道の駅休憩を挟みながらも京都余呉湖間2時間なので上出来です。
余呉湖を眺めながらMAMAランチ(?)なる山菜天ぷら定食を頂いて英気を養い、主たる目的地の菅山寺へ向かいます。
狭隘な山道を対向が来ないよう祈りながら走って駐車スペースに車を置き、そこからまさかのガッツリ登山(下山?)これが、それを全く想定していなかった私的には大変でした。何事も日頃の運動はあらまほしきことなり。
さて、登山はしんどいですが、季節はド真ん中の新緑です。

アップロードファイル 692-1.jpg
Planar 1.4/50 F5.6
絵に描いたような新緑写真。いえ、こういう基本に忠実なのも必要です。
さて、艱難辛苦を乗り越えて菅山寺に到着。

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Distagon 1.4/35 F9
このお寺、現在はほとんど廃寺かと思う寂れた風情ですが、もとを辿れば奈良時代にまで遡る極めて由緒あるお寺。この山門両脇の巨大な欅は樹齢1000年over。かの菅原道真が植樹したとかしないとか。

アップロードファイル 692-3.jpg
Distagon 1.4/35 F8
しかし、難しい。この欅と山門だけでおよそ20枚以上色々バリエーションを変えて撮りましたが、どれもパッとしません。
樹の存在感というか力というか、そういうのが全く表現できない。結局、何の捻りもないこの2枚。特にこの2枚目は、もしやと思い確認してみたら画角こそ違えど過去のhaseさんのとほぼ同じという始末。まぁ致し方なし。

さてその後も遭遇した池やら急峻な復路を死ぬ気で登りながら色々撮りましたが、それは「その2」に譲ります。
とにかく這う這うの体で駐車場に帰り、その後はhaseさんの車での帰路、登山の疲れと眼精疲労からくる頭痛により爆睡。助手席人員としてあるまじき醜態を晒しながら、夕方5時頃京都到着。車を降りて、折角だからと下賀茂神社に立ち寄る。

アップロードファイル 692-4.jpg
Planar 1.4/50 F1.4
いいですね。こういう雰囲気の写真が撮りたいという願望通りの描写。今回の旅はあまり開放を使いませんでしたが、Planarのこのまとわりつく収差が本当に好きです。

で、その後、いつものように3人で飲んだくれました。次回の夏は、話の流れから大和ミュージアムと鉄の鯨館に行こうという案が急速浮上。極めて興味をそそりますが、盆休みの高速を広島に向かうのはどんなもんかと思ったり思わなかったり。
まぁ考えましょう。

…さて、ここで終わりと思わせて、時間を菅山寺まで戻します。