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写真紀行後編

毎年、私は桜の時期に琵琶湖を一周する習慣があります。今年はしかし、琵琶湖畔の桜が満開の週末、クソ忌々しいことに仕事が入り、翌週の旅になりました。しかも土曜は曇り、日曜は雨という最悪のコンディション。
いつもは安ビジネスホテルに泊まるんですが、今後こういうプチ旅行も暫くはできないでしょうから、今年は美味しいものでも食べようと、長浜の黒壁スクエア近くにある料理旅館に泊まることにしました。
土曜、昼前に出発し、名神京都東から湖西道路を北上。適当なところで湖岸道路に入り、例年のように琵琶湖大橋北のアニバーサリーレストランPregoで昼食。ここは安いのに本当に美味いです。さてこのあたりから湖西地域はいい塩梅の田舎っぷりが出てきて大変情緒があり、さらに湖岸道路にはこれでもかというくらい延々と桜並木が続くわけですが、冒頭に書いた通り、今年は極めて残念ながらほとんど散ってしまっていて大変涙目でした。
例によって余呉湖にも訪れ、何とか桜は残っていましたが満開とはいかず。しかも曇天で肌寒く長居する気には到底なれず。
適当に桜を写真に収めたり、前に上げたようにカレラ号をライカで撮って喜んだりしながら適当に切り上げ、今回の旅の大きな目的である料理旅館へと向かいます。
向かった先は、JR長浜駅近くの千茂登(ちもと)という宿。相当古い木造の建物で大変情緒があります。
ご飯の前にお風呂に入り、浴衣に着替えて、さぁご飯です。
鮎の塩焼き、鰻の蒲焼に、近江牛のしゃぶしゃぶと。これが不味いわけがない。大変おいしゅうございました。最近鰻は養殖用の稚魚が全く取れないとかで値段が暴騰してまして。いつも私が食べてる会社近くの鰻屋の値段も物凄いことになってまして、おいそれと戴けない高級食になっていますが、まぁ久々の鰻は大変美味しかったです。
存分に食べ、多少飲んで翌日が奇跡的に晴れることを祈りながら就寝。
翌朝。もちろん奇跡なんか起こるはずもなくしっかりとした雨。
諦めて美味しい朝ごはんを戴きます。しかしなんで旅館で食べる朝ごはんってあんなに美味しいんでしょうかね。
この謎が解ければ新しいトリビアになると思いますがいかがでしょうかね。
トリビアの泉って何年前でしたっけ?放送開始は約10年前?んなアホな。嘘だと言ってよ緒川たまき。
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部屋に生けてあったお花。ツァイスのこの立体感と発色は素晴らしいですね。
さて天気は諦めて、長浜を散策です。雨なのでレンズ交換は避けたいので、ここはツァイス一本で勝負しましょう。
長浜駅から東は情緒あふれる街並みが残ってまして。特に黒壁スクエアと呼ばれる一角は素晴らしいです。本当は、こういう街並みが雨に塗れると非常に味があるのですが、残念ながらというべきか、滋賀的に著名な観光スポットですので人が大変多く街並みを撮るのは難しかったです。諦めて、ガラス工芸のお店や工房、博物館なんかを巡ることに。
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工房兼販売店でみつけたガラスのうさぎ。ツァイスは開放で撮るのも素晴らしいですが、このようにほんの少し絞ると素晴らしいシャープさとボケの両立を果たしてくれます。
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何故か撮影自由だった博物館にて。目の前の展示品を前ボケに使い且つ展示品のガラスケースの映り込みなんかを色々混ぜた訳のわからない一枚。映り込みって、私すごく好きでして。でも中々難しいですね。何がしたいのかさっぱり分からんことになりかねません。
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同じく博物館の見事な中庭。これは雨に塗れて大正解ですね。極めていい味がありました。開放から少し絞って立体感を狙いつつローキーで味を強調。見事にいい色を出してくれます。
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ふと目線を落としたところにあった使いこまれた下駄ばき。面白かったので撮ってみましたがこれは、ツァイスではなく、ライカで撮りたかったですね。こういう被写体は絶対にライカがあいます。残念。でも面白い写真で気に入ってます。

という感じで好き放題撮りちらかし、長浜を後にし湖岸道を南下、帰路に就いた次第です。
桜は大変残念でしたが、食い倒れツアーはそこそこ満足しました。来年も行きたいけど、流石に無理か。
しかし6月に入って4月の旅の話とは一体どういう了見だ。申し訳ありません。
この後、Canonが誇る最強の望遠ズームレンズEF70-200mmF2.8L IS2を買って試し撮…否。嫁のために瑠璃渓に行ったり、淡路島一周したりしました。
その辺の話はまた今度。近いうちに。たぶん。いえ必ず。

大変

ご無沙汰しております。みなさんお変わりないですか。私は平常運転です。
さてこのままいくと旅日記は未完に終わる予感がしなくもないですが、例によってまた別の話。嫁の懐妊が発覚し、更に安定期に入ったのを機に、やはり今のうちに子供が生まれたら行けない所に行っておこうという機運が高まり、最近は色々なところに行ってます。おかげでここが全く更新できてません。
さて旅行といえば、例のドイツオーストリア旅行ですが、その時に私が痛感したのは、自分の写真の腕の不味さでした。
2000枚近く撮って、帰って見返した時に、すべての写真が気に入らない。すべて何かしら不味い点があります。写真って、基本的に「引き算」なんですね。自分が写したい物、心を動かされた物を抽出し、他は捨てる。これが全く出来ていません。とりあえず全景を漠然と写す。高倍率の便利ズームにかまけた初心者中の初心者的過ちを見事に犯しています。
打開策は?これはもう簡単。ズームレンズを捨てて、画角が変わらない単焦点レンズを使い強制的に引き算をする。これに尽きます。
さて、カメラの基本的な画角のレンズに50mmレンズという物があります。「標準レンズ」と呼ばれるものがそれ。何故50mmレンズを「標準レンズ」と呼ぶかには諸説ありまして、ライカが標準仕様として50mmレンズを着けていたからってのが有力ですが、それはさて置きいずれにしても。どんな写真家も50mmってのは絶対に通り、そして抑えているレンズです。
さてしかし、画角の話をするならば、私のカメラの規格はフルサイズ(ライカ判)ではありませんから、本来の標準レンズの画角より狭い部分しか映りません。言い換えると、少し望遠になります。ですが、引き算をするならば、画角は狭いに越したことはありません。嫌でも応でも、狭い範囲しか写らないのですから、より対象を明確に写せます。
とういうわけで、あの旅行から帰った私は、カールツァイスのプラナー50mmをアマゾンで購入し、まぁ色々撮り、そうは言っても、明るい標準ズームはやっぱり要るよなということで、舌の根も乾かぬうちにCanonの大三元標準ズームレンズを購入し、更に、木村伊兵衛やブレッソンに傾倒したため、ライカレンズが欲しくなりズミクロンの50mmを買ったりと。
まぁ絵に描いたようなレンズ沼にはまり込んだわけでして。
そんなこんなで、最近は行く先々に、多数のレンズをレンズバッグに仕舞い込み、訪れるようになったわけです。
さて、ようやく冒頭の振りに戻るわけですが。
では、ここをほったらかして何処に行ってたのか。
写真のアップ上限がありますので、割愛して。
万博記念公園に梅を見に行ったり、宇治上神社で戌の日の祝いをして小料理屋でご飯を食べたり桜を見に、恒例の琵琶湖一周をしてみたりと、そんな感じでした。
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小料理屋の小鉢。ツァイスを少し絞って。料理を美味しそうに撮るってほんと難しいです。もう少しハイキーの方がよかったかも。
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京阪宇治駅近くの桜の木の幹から咲いていた一輪の桜。こちらはCanonのズームをローキーで。
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会社近くの桜を開放で立体的に。これもCanon。
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幹に咲いていた桜を、前ボケと後ろボケを使って。三度Canonで。
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琵琶湖一周の時の余呉湖にて。ライカのエルマリート180mmを使って圧縮。ライカレンズでポルシェを撮る。
いいですね。ロマンがあります。一般人にはさっぱり分からないロマン。

ということで、5枚になりましたので後編に続きます。

旅日記番外編【ドイツ交通事情】

車好きにとって、ドイツ「アウトバーン」は、ある種の憧れの場所です。
ドイツ版ニューディール政策。アドルフ・ヒトラーが為政者として非凡であったことを示す遺産。そんな歴史的背景もさることながら、我々を惹きつけて止まないのは他でもない「速度無制限」の神話です。
「速度無制限」いい響きですね。
しかし「最近のアウトバーンはかなりの部分で制限速度が設けられ、我々が想像するそれとは違う」というのが事情通がよく言うアウトバーンの現状ですが、では、バス乗車とは言え、実際この目で見たそれはどうだったのか。アウトバーンに限らず、ドイツの交通事情はどうだったのか。そういう話を少ししてみたいと思います。
私が走ったのは、深夜のフランクフルトからルードヴィッヒスハーフェン、昼間のハイデルベルクからローテンベルク。夕方のミュンヘン周辺。午前中のミュンヘンからザルツブルク。要するにドイツ南部オーストリア北部のアウトバーン事情、ということになります。
さて、結論からはっきり言うと「アウトバーンは想像通りだった。」ということになります。
制限速度区間でも、誰もそんなもの守ってません。
3車線ある道路の中で、日本とは逆で一番左が追い越し車線。真ん中と右が走行車線です。
右は100km、真ん中120、左、無制限。
これが実情でした。
車種に関しての平均速度ですが、我々が乗車するバスが真ん中車線で120km程度。相対速度から見る左車線の推定速度は、意外にもベンツ、BMWがおとなしく140程度。アウディが元気で150以上。非常に好戦的でぶっ飛ばすのはVWで160くらい。
これが「平均」です。速いのは限りなく200に近いと思います。またバンや商用車でも容赦なく踏みます。140以上がざらに居ますね。どこかの国のように、追い越し車線を80km以下で走る馬鹿はどこにも居ません。そりゃそうです。死にますもの。
21世紀の今日でも、アウトバーンの正義は「速さ」でした。
ベンツだろうが何だろうが、遅い奴は真ん中か右車線を走らないといけません。また、追い越しが終われば、みんなちゃんと真ん中に戻ります。
超高速で極めて整然と、速度以外のルールとマナーが守られています。素晴らしい。
あと、旅行日記本編でも触れましたが、とにかくポルシェが少ない。全く見ません。しかし、2台だけ見たポルシェは、その2台とも「アウトバーンを走るポルシェ」として誰もがイメージするそのままでした。
即ち、他の何者より速い、圧倒的な速度で、左車線をぶっ飛んで行きます。確実に200kmオーバー。抜かされる時の音が違う。観光バス、それもヨーロッパ版の巨大観光バスが、抜かされる風圧で震えるんですから半端じゃありません。
本場のポルシェ乗りの気概を見せられました。ポルシェ911斯くあるべし。
さて、スピード至上主義のアウトバーンから降りて、一般道はどうか。
一言で言うと「合理主義の権化」これにつきます。
速度規制が実に明確で、しかも理に適っています。
80km。50km。30km。それらが場所によって非常に細かく設定されています。どうしてか?
2日目のロマンティック街道を南下する際、午前中、非常に濃い霧に包まれました。しかし上記の速度設定がここで活きます。郊外の道は80km、街中は50km、ロータリーや急カーブ前は30km。例え初めて走る道でも、例え濃霧の中でも、速度規制に則って走れば、安全に、適正速度で走ることが出来ます。どこかの国のように、片側3車線にも関わらず40kmとか、そういう意味不明で非合理な速度規制は一切ありません。また、郊外の交差点にはロータリーになっていますので、信号による停車が必要ありませんし渋滞も発生しません。どこかの国のように、ド田舎の見渡す限りの田んぼの真ん中に信号機が屹立する不条理にも遭遇しません。また、ロマンティック街道での濃霧もさることながら、ドイツって非常に霧が多いんですね。私、今まで、何故ドイツ車のフォグランプがあんなに無駄に眩しいのか不思議で仕方なかったのですが、その理由がよく分かりました。そりゃ視認性が高いフォグランプにしないとドイツの郊外は走れたものじゃありません。どこかの国で、夜間、特にBMWのドライバーがよくフォグランプまで点けて走ってますがアレは恥ずかしいから止めて欲しいものです。
あと、ドイツ南部の丘陵地、今回で言うと、ノイスヴァンシュタイン城からヴィース教会に向かうワインディングロードの見事さ。
これがもう本当に筆舌に尽くしがたい。こんな道を、カレラ号で走ったらどれだけ気持ちいいか。100くらいでまったり走ったら本当に素晴らしいことでしょう。また夏場にオープンカーで走ろうものならもう駆け抜ける喜びの極致ですね。
今回ドイツの道を長々走って実感しましたが、とにかく、停車することが少ないんです。都心部を除いては渋滞など存在しませんし、信号すら存在しません。もちろんドイツですから気候は基本的に冷涼です。
こんな環境で走ることを前提にされた車たち、特に80年代までのドイツ車が、日本に連れてきて悉く故障するのは当たり前です。余りにも交通事情が違いすぎます。天国と地獄。
さて、褒めちぎりのドイツ交通事情ですが、勿論、いいことばかりじゃありません。特に冬場、雪まみれになることからドイツの道路は融雪剤で浸されます。そんな道を毎日、しかも長距離移動するわけですから、どの車も本当に汚い。
セアトもワーゲンも、アウディ、ベンツもBMも、ポルシェ、ベントレーでさえ汚い。私あんな汚いコンチネンタルGT初めて見ました。
あと、都市部の駐車が意味不明です。というのも全部、路上に縦列駐車ゾーンがあるので路駐するわけですが車と車の間隔が異常。前後1m以下でびっちり停まってます。どう停めるのか、どう出るのかさっぱりわかりません。バンパーで押すらしいですが、車の中を見てみると、殆どの車がちゃんとサイド引いてます。動かねーよ。どうするんでしょう。残念且つ不思議なことに、一度も停車や出発する様子に遭遇しませんでした。次回行く時にはこの謎を解明したいと思います。あとは殆どの車がMTでした。まぁこんな交通事情ならAT要りませんよね。
また、ドイツの外車事情ですが、一番多いのはセアト、次がフォードです。残念ながら日本車は少ない。少ない中での内訳は、マツダが一番で次がホンダ。トヨタは意外に少なく、レクサスはウィーンでISを1台見ただけです。ちなみに現行GT-Rもウィーンで1台見ました。そんな感じ。頑張れ日本車。
というわけで、その国の交通事情ってのは本当にお国柄を示す鏡です。
合理的で、見てくれには拘らず、少し変態というドイツのイメージそのままでした。
あと、私は今まで周囲の人間から、スピード狂という酷い誹謗を受けたりしましたが、今回の旅で、やはりそれは間違いだったと分かりました。日本ではそうかもしれませんが、ドイツではごく普通です。生まれる国を間違いましたね。残念。

11月28日(2)

ノイスヴァンシュタイン、ヴィース教会とド田舎観光を終えました我々は、今日の宿泊地ミュンヘンに向かいます。
ミュンヘン。バイエルン州の州都ですね。バイエルンと言えばBMWですが車の話は置いておいて。到着した我々は中心部のマリエン広場に連れて行かれ、そこで解散自由行動です。広場は勿論、クリスマスマーケット真っ只中です。
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ドイツ人達が溢れかえる中、聳え立つ市庁舎などを眺めつつ、ぶらぶらします。しかし余りに寒いので、広場横のデパートに避難。まぁ市庁舎を除けば、都市部ですからそうそう異国情緒溢れるというわけでもなく。集合時間まで時間を適当につぶします。
さて再集合した後、今日の晩御飯であるビールとソーセージを食べるべく、ビアレストラン、ホフブロイハウスに向かいます。途中ハードロックカフェがあるのを見つけ驚きながらもげんなりしつつ、店到着。中に入ります。
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こんな感じ。ドイツ感溢れる店内です。例によってメイド服を来たおば…おねーさんだった人たちが給仕をしますが、何というか、基本的に、向こうの人って物凄くかったるそうに仕事しますよね。日本だけが異常なんでしょうか。間違いなくそうです。日本の過剰サービスっぷりは異常。
さて、出てきたビールとソーセージとよく分からない酢漬けのサラダ。
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確かに、旨い。旨いんですが、皿いっぱいのソーセージは流石に辛い。申し訳ないと思いながら少し残す。
食後にはリンゴのタルトっぽいよく分からないデザートが出てきました。甘い!!!!!!!!無理!!!!!!!!!
ビールとソーセージ盛り合わせの後にこの甘さっ!!何考えてんだドイツ!!
あと、店の舞台では、何だかよく分からない演奏と出し物がなされていました。非常に微妙な感じで夕食をとり終え、今日のホテルにバスで向かいます。ちなみに完璧なまでにビジネスホテルちっくなホテルでした。何故かホテルの室内にテントウムシがいっぱい居ました。さらに、シャワーブースの排水不良で、すぐ水が貯まりました。直そうにも工具が無いのでフタも開かず。騙し騙しシャワーを浴び、就寝です。

そんな若干微妙なドイツ最終日。しかし翌29日からは、ついにオーストリア入りです。ザルツブルク観光モーツァルト生家です。テンションが上がらざるを得ません。おやすみなさい。

11月28日(1)

さてお久しぶりの旅日記です。
前日9時前には寝た都合上5時には起きまして、下に挙げたような幻想的な町並みを写真に撮り、ご飯を食べて、ホーエンシュバンガウへ向かいます。要するにノイスヴァンシュタイン城ですね。
さて、道中「ロマンティック街道」をひたすら走ります。日本で言うところの東海道とか中山道とかみたく、ドイツの古くからある街道ですね。
どうしても日本人的には「ロマンティック」と言われると、「止まらない」とか「あげるよ」とか思い浮かべますが、ここで言う「ロマンティック」とは、あくまでも、ローマに続く街道という意味です。全ての道はローマに通ず的なそれ。
道沿いは本来風光明媚なところですが、この日は、朝から非常に濃い霧に覆われておりまして残念な感じでした。
途中、これもドイツの有名な「古城街道」と交差したり、青くも美しくもないドナウ川を車窓から眺めたりしながらお昼前にノイスヴァンシュタイン城に到着。花より団子ということで観光の前にお昼ご飯。ドイツ風メイド服に身を包んだおば…おねーさん達が給仕をしてます。出てきたのは、巨大なロールキャベツ。ここでも勿論、ビールを飲みます。
相変わらず、特に日本のビールと味が異なるわけではありませんが、しかし、真昼間から飲むビールが旨いことに変わりはありませんので私は満足です。
さて、食欲を満たした我々。山の上まで行くバスに中国人観光客とともに5分ほど揺られて、城の奥にある峡谷を渡す「マリエン橋」に到着。ノイスヴァンシュタイン城を眺めます。極めて絶景。
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我々が「ノイスヴァンシュタイン城」と言われてまず思い浮かべるのは、このつり橋からの絵だったんですね。これが厳寒期の雪景色の中なら素晴らしく最高でしょうが、まぁそれはプロの写真家に任せます。
さてしかし写真では分かりにくいですが、この写真には写っていない、城の向こう側は全面的に外壁の工事中でした。これ以外にも非常に美しく城が見えるポイントがありまして、写真にも勿論収めたのですが、全て外壁工事の足場やらフェンスやらに囲まれまして、残念なシュタイン城の風情。仕方ありません。ちなみに城がある高台から眺める景色は
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こんな感じです。真ん中辺りに見える黄色いお城「ホーエンシュヴァンガウ城」は、ノイスヴァンシュタイン城を建てたルードヴィッヒ2世の父親マクシミリアン2世の居城。家どころか城があるなら一緒に住めと思いますが、やんごとない方々にはやんごとない考えがあるのでしょう。忖度すること能わざる話は置いといて、いよいよノイスヴァンシュタイン城内へ。
さて、クラシック音楽が好きな人であれば「ルードヴィッヒ2世」の名を聞けば、ワーグナーを連想すると思います。
ワーグナー。ドイツが誇るオペラ(彼は楽劇と呼びましたが)の巨人。間違いなく天才ですが、完璧な人格破綻者です。
さて、そんなワーグナーの熱烈なファンが、他でもない、ルードヴィッヒ2世です。ワーグナーに金銭的な援助を国が傾くほど行ったことでその筋では有名。最も大きな援助は、ワーグナーが、自分の楽劇をベストな環境で演奏するために作った「バイロイト祝祭劇場」ですね。さて、そんなワーグナーファン、いやワーグナーオタク兼、築城フェチのルードヴィッヒ2世が、自分の理想の集大成として作り上げたノイスヴァンシュタイン城とは、どういうお城か。
一言で言えば「偏執的なまでに作りこまれたワーグナー空間」これにつきます。
まず、場所。シュヴァンガウは、白鳥伝説、即ち楽劇「ローエングリン」ゆかりの地です。城内には、「ローエングリン」「トリスタンとイゾルデ」「パルジファル」などの巨大な絵画やコスプレ的な諸々。
「マイスタージンガー」を強烈に意識した晩餐会場、「タンホイザー」のヴェーヌスベルクを再現した洞窟。洞窟ですよ洞窟。城の中に。
撮影禁止でしたので写真が無いのが残念ですが、まぁよくぞここまでと。
さてこんな城を建てたルードヴィッヒ2世ですが若い頃はそりゃイケメンだったそうです。で、奥さんになるはずの女性ゾフィー。これも超美人。王様と王女でイケメン美女なんて死ねばいいと思いますが、しかし、このルードヴィッヒ、ガチのホモだったそうで。ゾフィーと別れワーグナーの作り出す楽劇の世界にはまりこみます。またどうにも心を病むようになり、ひきこもり化。最後は禁治産者扱いされ廃位に追い込まれ、更に湖畔で散歩中死亡するという不思議な最期を遂げました。
いずれにせよ、国を傾かせるほど金をつぎ込んで当時の人々には恐らく迷惑だったとは思いますが、その妄執が、ここまで美しい城を作り上げ、今この時代にも受け継がれ地元を世界的な観光地にした訳ですから、ある意味で先見の明があるのかも…と思いきや、遺言で「自分の死後は潰せ」と言ったそうですから
…まぁ、何というか。ええ。残念。
さて、城を出まして坂を下り免税店に入りますが、やはりブランド物がよく分からない我々はただ時間を潰すに終始して集合時間を迎えます。
バスに乗って来た道を戻り、向かう先はヴィース教会です。
ヴィース教会。残念ながら、私はこの教会がどういう謂れで、歴史的にどういう立ち位置にあるかサッパリ分かりません。
サッパリ分かりませんが、シンプルな外観
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とは裏腹に
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内装はすさまじいです。キレイな教会です。ドイツ田舎ツアーの案内では、必ずこの教会の内装写真が載りますので見かけられた方も多いと思いますがまぁ実物もそりゃキレイでした。
あと、教会の向かいの土産物屋さんには
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こんな看板猫が居ました。物凄く気位が高そうな猫。一度もカメラ目線をくれませんでしたね。
買い物しないとダメなようです。プロの看板猫に違いありません。

…というわけで、上限の5枚を迎えてしまいました。
夜のミュンヘンの話はまた今度。

11月27日(3)

ホテルに戻った我々、夕食の時間です。メニューはハンバーグ
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こんな感じ。非常に美味しかったです。
本来であれば夕食後、ローテンブルクの旧市街を練り歩くつもりでしたが、しかし。時差ボケからくる強烈な眠気に打ち勝つことが出来ず、8時すぎには寝てしまいました。残念。
ただ朝少し早く起きて、町並みを見てみますと
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こんな雰囲気。なにこれ。霧に包まれた城壁を外灯が照らし出して素晴らしい風情です。
私は急ぎ外に出まして、色々撮ってみました。
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かっこよすぎワロタw
満足した私はホテルに戻ります。朝ごはん朝ごはん。今回もビュッフェでした。
これが非常に美味。
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ドイツのご飯は捨てたものじゃありませんね。
さてしかし、ツアーの日程は、我々がここでこれ以上過ごす事を許しません。ノイスヴァンシュタイン城が我々を待っています。
というわけで本当に、物凄い勢いで名残惜しいですが、ローテンブルクを去ることになった我々。今度ドイツに行く際には、必ず2日は滞在しようと心に決めたローテンブルク。今度こそ城壁を歩いてやる。

さて次回はノイスヴァンシュタインとヴィース教会というドイツツアー必須の観光地でのお話です。

11月27日(2)

アウトバーンを走り抜けた我々は、ローテンブルクに入ります。ローテンブルク。ドイツ南部にあるそりゃ美しい町です。その起源はAD1000前後というから大したもの。「中世の宝石箱」と呼ばれる昔ながらの街並みを今に伝える城壁都市です。町をぐるりと囲む城壁を潜り旧市街地に入り、その中のロッジ風のホテルに到着、荷物を下ろします。窓からは城壁が見え、中世ヨーロッパ感溢れる風情。
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この城壁は今でも歩くことができ、しかも、城壁内に家まであるという凄い空間。BSの旅番組なんかでよく出てくるので、見たことがある方も多くいらっしゃるかもしれませんね。とにかく美しいです。
さて、集団でのツアーです。旧市街の中心部にあるマルクト広場。市庁舎、聖ヤコブ教会などが見渡せ、またここでも当然クリスマスマーケットが繰り広げられます。
旧市街を歩き、城壁を外に出て、街の全景を眺めるなど、セオリーどおりのツアーを楽しみ、また、ドイツならではのアイスワインの試飲会を経て、自由行動となりました。
私はここで日本で買えば数万という嘘かホントかよく分からないお勧めに従い、適当に1本選んで買いました。年末年始に飲みましょう。さて、そうこうしている内に、日が暮れます。夜のローテンブルク。これが美しい。
例えば、何の変哲も無いただの路地が
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こんな感じ。
広場に向かいましょう、聖ヤコブ教会の前にはメリーゴーランドです。戯れる子供達
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少し移動して、マルクト広場は
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こんな感じ。素晴らしいですね。異国情緒ですね。
さて、しかし、例によって時間がありません。食事の時間が迫りますので、ホテルに向かいます。
途中、スーパーのような、みやげ物やのような、おもちゃ屋のようなよく分からない店に入り、食料を調達。水より安いビールと、イオンを訴えたくなるくらいに安いドイツ産チーズを購入。
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ちなみにこのビール500mlで、88セントです。
ドイツで水を買うのは情弱。情強は地元スーパーで缶ビールとチーズ。これです。
さて、もうリミットの写真5枚になってしまいました。次に続きます。

11月27日

朝。具体的には午前6時30分。わざわざ旅行用に購入した小型電波目覚まし時計で目を覚まし、身支度を整えるとともにチェックアウトの準備を行い、7時10分、私達は部屋を出ました。流石は緯度が北海道並み。外はまだ薄暗いです。鬼のように重いスーツケースを引き摺って地上階に向かい、そこから朝食をとります。…もういい?
このペースで書くと前回のようになるので、巻きで行きます。
朝ごはんはビュッフェでした。適当に見繕って食べます。意外に脂っこく無く日本人の感覚でも普通に食べられます。さて、早々に朝食も済ませ、チェックアウトも済ませ、全員集合してバスに乗り込みます。今日の旅程は、まずハイデルベルクで古城を散策、その後ローテンブルクへ向かうという流れです。
ホテルからものの30分ほどでハイデルベルク到着。狭い石畳の急峻な坂道をバスが登り、駐車場到着。そこには同様の日本人ツアーのバスが既に数台。ここはドイツ田舎ツアーでは必須のようですね。
さて、ハイデルベルク城です。
このお城は1200年代には既に築城されていたそうです。日本で言うと鎌倉時代。その後様々な歴史の舞台となるわけですが、世界史を取っていた人には、ルターの宗教改革に纏わるハイデルベルク信仰問答なんかがピンとくるかもしれません。ルターが、プロテスタントの信仰とは何ぞやという事を説明に来たやつですね。年号は忘れました。
さて宗教改革は戦争とセットです。神聖ローマ帝国の宗教戦争と言えば、三十年戦争。この辺りからハイデルベルク城は戦争の舞台となり、その後プファルツ継承戦争で破壊され放棄されます。普通ならそこで廃城となって朽ちるわけですが
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ハイデルベルクの自然といい感じの朽ちっぷりが、今で言う廃墟フェチの画家らに愛され、保護保存運動が発生。1800年代半ばには、ドイツ有数の観光地になり、それが今も続くと言う面白い地です。
写真はホワイトバランスを弄って意図的に廃墟っぷりを助長してますが、実際はここまでおどろおどろしくはないです。
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展望テラスからハイデルベルク旧市街を眺める図。この眺望がここ200年近く愛されるそれです。赤い屋根の町並みや、アルテ・ブリュッケ(橋)や精霊教会なんかが奇麗ですね。
さて、廃城からケーブルカーで旧市街に降り続き観光です。町の中はクリスマス前ということで、クリスマスマーケット真っ盛りです。ただ夜が本番なので、午前中はまだ閑散としてました。
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街中で見かけた子供。まるでEOS Kiss(カメラ)の宣伝に使われそうな写真。子供と動物は絵になります。
旧市街といっても観光地。そこにはいっぱい店がありましたが、日曜日ということで、多くの店が休みです。さすがヨーロッパ。日本とは違う。
さて、ツアータイプの海外旅行の常として、一所にゆっくり留まってじっくり観光とはいきません。
非常に名残惜しいですがハイデルベルクを早々に立ち去ります。一同バスに乗り込んでレストランへ移動。昼食です。ドイツに居るからにはビールを飲まないと始まりません。真昼間から飲むビールはやっぱり美味しいですね。美味しいですが、日本のビールと差があるかと聞かれると、そう大して変わらないという印象。また料理のほうは、ドイツ版餃子的な代物でした。これも日本人の感覚で普通に食べられます。
食べたらまた慌しく移動です。バスに乗り込んで、向かうはローテンブルク。ここからアウトバーンに乗りました。
アウトバーンの詳しい話は、例によって後日書く予定のコラムをご参照ください。
途中、航空機の博物館か何かがあるらしく、アウトバーンからでも、展示が一部見えました。
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コンコルドですコンコルド。超音速旅客機。かっこいいですね。ただ飛ばないコンコルドは何か剥製みたいでした。飛んでる姿を見てみたかったですね。残念。

さて、ローテンブルクに到着する我々ですが、写真のアップ数が一投稿につき5枚までという関係上、ここで一旦置きます。
ドイツツアー2日目ローテンブルク編はまた次回。

11月26日

早朝。具体的には午前5時20分。目覚ましと携帯アラームの二重がけで目を覚まし身支度を整えるとともに最終の荷物確認を行い、6時15分、私達は家を出ました。流石は冬至の一ヶ月前、外はまだ暗いです。
鬼のように重いスーツケースを引き摺って最寄りのモノレールの駅から蛍池に向かい、そこから関空行きのバスに乗ります。往復で約4000円弱超高い。しかし車で行って1週間も空港の駐車場に停めようもんなら1万じゃとても済みません。諦めてバスに揺られます。阪神高速の池田線から環状線経由で湾岸線というルートは、私が毎日の営業で走っている道ですので旅情を掻き立てられることなどあろう筈もなく、ただ眠い目で見慣れた景色を眺め続け、バスはようやく関空に到着。
この時点で夫婦とも疲れが見え始めてこの先が思いやられます。
9時に団体用カウンターで添乗員さんと挨拶。航空券を頂き、一旦解散。私は手持ちの金をユーロに変えます。レートは手数料込で1ユーロ=107円。有り得ない安さです。まぁ今後もっと安くなる可能性も大いにありますけどね。
その後、最後の買い物(ホッカイロ)をすませ、私はクリスマス飾りが施された関空を適当に撮って時間をつぶしました。
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空港と新幹線のホームって、絶対に時間の流れがおかしいですよね。世の中で最も早く時間が流れる場所だと私は思います。
さて、そんなこんなで11時。出国の手続きが相変わらず拍子抜けするほど簡単に終わり、スーツケースを預け、関空内のトランスポーターに
揺られて、ゲートに向かいます。私たちをこれからアムステルダムまで運ぶのは、KLMオランダ航空のKL868便。機体はボーイング777でした。さて、私の中で「飛行機」特に国際線で使われる機体のイメージは、どうしても「ジャンボジェット」ボーイング747型機です。
二階建てで、エンジンが4発ついているアレですね。ですから777型機のように双発というのはどうにも心もとない。もし一発死んだらと
思うと、機内食も喉を通りません。

「頼むから途中で疲れたりしないでよ」

私はブルーに塗られた機体と、GE製の2発の巨大なジェットエンジンを眺めながら語りかけた後、自分の座席を探します。
真ん中席の通路側。本当は窓際がよかったのですが、まぁ出入りがしやすいので良いでしょう。荷物(カメラバック)を足元に置いて座席に座ります。

さて。

先日も書きましたが、私は鉄とアルミとジュラルミンとその他諸々の巨大な塊が重力を打ち破って空を飛ぶ、というのがどうにも納得いきません。それぞれの座席に付属しているモニターには現在の機体の状況。速度、高度、外気温、残り飛行距離、現在地の時間、行き先の時間などが映っています。しかし外の状況は見えません。モニターには文字しか映し出されません。これが恐怖を助長します。
飛行機は、滑走路を静々と移動し、直線路に到達しました。ジェットエンジンがその出力を高めます。
私の頭の中ではヤマトの発艦シーン。或いはナディアのニューノーチラスの起動シーン的なアレが再現されるわけですが、自分の命がかかってるので、間違っても楽しいものではありません。ジェットエンジンの咆哮がいよいよ高まり、シグナルはブラックアウト。
で、ここから、あの旅客機独特の地味な加速が始まります。私のカレラ号の5速の加速くらいのそれ。
これが怖い。いっそのこと、顔の形が変わるくらいの強烈な加速をしてくれればいいものの、これでホントに離陸速度に達するのかと不安になる地味な加速。じわじわと速度があがり、300kmを超えると翼が生み出す揚力が重力を上回り始めます。あの独特の浮遊感と共に機体はついに地面を離れ、そこから高度を上げていくわけですが、この際の上下動が好きになれません。
私は前後のGや横Gには耐性がありますが、上下のそれはどうもなじまない。もしここでエンジンの中の小人さんがやる気を失ったらと思うとおちおち写真も撮っていられません。なんとも言えない命を懸けた10分弱が過ぎた頃、機体は水平飛行に移り、シートベルトサインが消えます。
これでようやく一安心。暫くでウェルカムドリンク的なドリンクサービスとお菓子が配れました。生きているって素晴らしいと思いながら喉を潤します。さてモニターによると、もう飛行機は日本海に達しています。このあとロシア上空を延々と飛び、北欧の国々やバルト海を掠めてアムステルダムに向かうというルート。ロシア上空を飛ぶ。一昔前なら有り得ません。早々にミグだかスホーイだかがぶっ飛んできてソ連の空に散ることになります。平和って素晴らしいですね。
さて日本時間ではちょうどお昼。ランチが運ばれてきました。ビーフorチキン?と聞かれたのでビーフと答えたら出てきたのは
ジャパニーズSUKIYAKI
なんでやねん。しかしこれがまぁ普通に美味しかったです。
てか今回、私はおよそ10年ぶりに飛行機に乗ったわけですが、本当に快適になりましたね。当時、ハワイに行く際に乗ったのが初めてでしたがそれはそれは酷いものでした。座席は座り心地最悪ですし、信じられないほど狭いし、機内食はこの世の物とは思えない不味さでした。
それから比べると実に快適です。またKLMは日本人CAが乗り合わしているので、意思疎通に困ることもありません。更に座席に据え付けられたモニターには、様々な映画やテレビ番組、更にはゲームまで出来るというハイテク品。凄いなぁと思いながらコントローラーを握ると、しかしスタートボタンが効きません。まさかこんな所でも、私の機械物のツキのなさが発揮されることになろうとは。反応が死に掛かったボタンを無理やり押して、私はトップギアの字幕なし版を見、そのあとはテトリスをして時間をつぶしました。
そうこうしているうちに、機外はずいぶん暗くなり始めます。私は席を立って機体最後尾周辺の窓から外を眺めます。
これがもう美しいなんてもんじゃありません。高度40000フィートの高空には何一つとして視界を遮るものは存在しません。
空と宇宙の境目は曖昧で、夕日が遥か彼方の地平線を照らし、眼下には凍結した大河が静寂とともにあります。
アップロードファイル 635-2.jpg
この季節、この時間、この高度でしか見ることができない、本来は人間が見ることができない絶景。
私は飛行機が好きではありませんが、この高高度の景色を見られるなら飛行機に乗る価値はあると思います。
さて、エコノミー症候群が怖い私は景色を見る他にも機内を歩き回り、通常入室が制限されているであろうビジネスクラスに忍び込みブルジョワの世界を垣間見たり、いきすぎてCAがくつろいでる所に入り込んだり、更にCAにハイネケンや赤ワインを貰ったり、適当に時間を潰しました。不思議なもので初めから12時間のフライトだと腹をくくれば、ウラル山脈を越えた辺り、到着まで4時間とかになると、もうアムステルダムまで指呼の間であるかのような盛大な勘違いをするから不思議です。
さて飲んだくれていると二度目のKLMオランダ航空の機内食が配られ始めました。
メニューはジャパニーズYAKISOBA。
だから何故?オランダですよオランダ。ほらあるじゃん他にも。風車とかチューリップとか飾り窓の女とか。食い物は全く思いつかないですが、しかしすき焼と焼きソバは絶対に違う。もっとオランダ風味溢れる何かが欲しい。機長のオランダ語とオランダ訛りの変な英語によるアナウンスで気分をオランダにするしかありません。
でも薄暗い機内に10時間以上もいると変なテンションになりますね、もしかすると、機内の空気にはそっち系の何かが混ざっているのかもしれませんオランダだけに。……いやこれ以上オランダを冒涜すると不味いのでこの辺でやめましょう。
そんなこんなで飛行機は無事ロシアの制空権を抜け、EU圏内に入ります。着陸のために高度を落とし始めたあたりから飛行機が揺れる揺れる。機外は相当強風のようです。その昔、ハワイからの帰国途中も相当揺れましたが、今回の揺れはそれ以上です。上記したように、機外のモニターはありません。あるのは速度計と高度計くらいのものです。物凄い勢いで高度が落ちてますが、まぁ気のせいでしょう。心配しようが何しようが私が操縦桿を握っているわけではありませんので無駄なことです。人間死ぬ時は死ぬ。無味乾燥なディスプレイと遠くの窓から覗く景色から、着陸が間近であると知れます。暫しでランディング。そこからも揺れましたが、地に足の着いた揺れには何の恐怖も感じませんから面白いものです。
えらく長い移動時間がかかってようやく飛行機から降ります。スキポール空港巨大すぎ。
で、ここから恐怖のトランジット6時間が始まります。6時間て。軽く観光できるレベル。一旦集まって注意事項を確認。2時間後再集合ということで解散となります。さてしかし、日本時間的にはもう夜の12時頃ここから6時間は非常にきつい。でもここで寝ると死にますので耐えなければなりません。荷物を引きずりながら巨大なスキポール空港のなかを探索です。
免税店に寄ってみるという海外旅行お約束のパターンですが、ブランド物に疎い我々は高いのか安いのかよく分かりません。その昔のハワイ旅行の際、アルマーニの革ジャケットが死ぬほど安かった記憶があり、今回密かに狙っていたのですがアルマーニがありません。私的にはもう欲しいものがなく、酒でも見てみるかと免税酒屋に寄ってみましたが、私が欲するブランデーやその他は、信じられないことに日本国内のディスカウント酒屋で買う値段と全く変わりません。
ほとほとげんなりしながら、本屋に移動。そこでトップギアの本を見つけ、テンション少し上昇。凄いですね。3種類ももありましたもの。あと、当然ですが、エロ本が充実してました。流石はオランダ。
さてもういい加減しんどい我々。しかし上記しましたように空港は時間の流れが加速してますのでコーヒー飲んでる間に集合時間が迫ります。ちなみにこれがヨーロッパ初買い物、初飲食でしたが、何の変哲も無いただのコーヒーでした。残念。
さて、我々の目的地はドイツフランクフルトですが、EU圏内では、まず一発目に止まった国で入国審査をする模様。集合後ここで審査となりました。EUの入国審査なんて勿論初めてでしたが、ゲートが二つに分かれてまして、片方がEUパスポート用、他方がそれ以外のパスポート用となっています。EU外のゲートがやたら混んでいまして、私たちの前には中国か朝鮮の女の子でした。で、彼女達の審査の際、これがやたら執拗に話し込んでます。困った。私の英語力は中学レベルですから、官憲のそれには到底太刀打ちできない。嫁も別に語学が堪能なわけではありません。どーするよ?「JAPANESE PLEASE!!」って言うしかないだろとか笑ってると、EU用ゲートの耳聡い審査官が反応しました。私を見て「JAPANESE?」私が頷くと、こっちに来なさいとのこと。パスポートを提示すると無言で判子押して無罪放免です。
おいもうちょっと何かあるでしょう?
こっちは「さいとしーいんぐ!」って答えるタイミングを今か今かと待ち構えていたのに肩透かしもいいとこですよ。相変わらず日本のパスポートの信頼性は世界一ですね。お隣さんとはえらい違いです。
しかしこの信用は我々の先人が築き上げた物です。我々の代でこれを汚してはなりません。襟を正してEU入国となりました。
しかし別に入国と言っても、空港の中の、ゲートの向こうとこっち。何も変わることはありません。フランクフルト行きのゲートを確認した後、また自由時間。今度もあっちを見、こっちを見、時間を潰します。途中、何気ない喫茶店の余りのヨーロッパ的雰囲気にテンション上がり、空港の端っこにぽつんとあった寿司バーに笑い、店員が日本人と気付いて気まずくなったり、色々ありました。小腹が空いたのでサラダの盛り合わせとビール(これが空港最安飯)でしのいだりしていると、あっという間に再度の集合時間。同じくKLMのフランクフルト行きのゲートに集合。凄い風の中エアバスA330の小人さんに祈りながら搭乗します。狭い。4列シートです。新幹線より狭い。1時間かそこらのフライトですので、まぁいいでしょう。でも今回は窓際でした。移動中、主翼がばいんばいん揺れてます。小型機怖い。
さて777型に比べて明らかに小さなジェットエンジンの音が高鳴り加速が始まるわけですが、これが大型機に比べなかなか鋭い加速を見せます。カレラ号の4速くらい。今回は窓際で翼と空が見えますから恐怖感は殆どありません。
無事離陸し、眼下にオランダの夜景が広がります。非常に美しい。翼よあれがアムステルダムの火だ。しかし1時間くらいのフライトですから、水平飛行に移ったと思ったら間もなくで降下が始まります。飛行機って凄いですね。暫く、ほんの暫くでフランクフルトに到着です。
しかしもう流石に疲れた。空港でスーツケースを引き取り、鍵がぶっ壊れていることに落胆しつつバスに乗り込みます。フランクフルトから、ルードヴィッヒスハーフェンに向かいます。現地時間で夜の11時。日本時間は考えたくもありません。
乗りはじめて暫くで、気がついたらアウトバーンに入ってました。私の夢の地ですが疲れ果てていてテンションはあがりません。
なおアウトバーンの交通事情については、コラムで書きますのでそちらを参照してください。
簡単に触れますと、みな、飛ばしすぎ。中でもとてつもない速度でぶっ飛んでいった911がありました。流石は本場。しかしポルシェが少ない、殆ど見ません。不思議に思いながら何とか意識を保ちつつ、1時間と少しで目的のホテルに到着しました。
しかし同じ時間でも飛行機とバスでは全く違います。バスのほうが圧倒的に長く感じる。人間の感覚って不思議ですね。そんなことを思いつつ、部屋に入る。本当に普通のビジネスホテルです。日本と何も変わりません。変わるのは、水が有料ということ、その水が途方も無く高価だということです。ホテルの自販機で3ユーロ。即ち300円。しかも飲んで気付きましたが炭酸水です。がっくりと膝から崩れ落ち、私はベッドに転がり込みました。

そんな初日。翌日からいよいよ本格的な観光が始まります。

我々を待ち受けるドイツの古都と古城たち。

然るに「飛行機に乗ってホテルに着いた」って所まででこんなに書いてどうするんでしょう。

今後この密度で話を書いてると私も読む方も死ぬので、以後改めます。

お陰さまで

無事何事も無く帰ってきましたこんちわ。
8日に及ぶ旅でしたが、ほぼ3日は飛行機による移動でしたので、実質は5日間。
初日は関空からアムステルダムに向かい乗り換えてフランクフルトに。そこからルードヴィッヒスハーフェンに移動。深夜に到着し一泊。2日目はハイデルベルク、ローテンブルク。3日目はホーエンシュバンガウ(ノイスバンシュタイン城)ミュンヘン。4日目はザルツブルグ5、6日目がウィーン。7日朝にウィーン発、アムステルダム経由で8日目朝に関空到着。
という行程でした。
先日書いたように、旅程の全てを収めるために、X4(カメラ)とレンズ4本(超広角、標準ズーム、単焦点×2)を新調したカメラバックに詰めて持って行き、万全を期すためメモリーカードは16GBを2つ。バッテリーを3つに充電器(変換プラグ込み)まで持ち込みました。
ちなみに、嫁専用カメラはコンパクトデジカメNIKONのP300です。
私と嫁とで合計2000枚程度撮るというやりすぎ感溢れるあんばい。
まぁそんな感じでした。
というわけで、これから旅行記的な物を書いていこうと思うわけですが
色々と感じること、思うことがありますんで、どう書こうか思案中。
とりあえずは、まず単純に、日程追った旅行雑記を欠き散らかし、個別案件は、いつものコラム調のような感じで書いていこうと思います。
思いますが、どこかでやる気を失い尻切れトンボになる可能性が極めて高いですが、まぁそうなったらそうなった時のことですね。
では徐々に書いていきます、気長に見てやってください。
宜しくお願いします。

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