ってありますよね。なうなう言うあれです。
残念ながら全く興味がない私は、完全に世の中の潮流から外れた位置に居る訳で。だって例えば「飲み会なう」だとか「ドライブなう」とかツイートされても、だからどうしたと思ってしまう私は根本的に無理な人のようです。
そう言えば昔、ミクシーなる物にも全く興味がわかなかった記憶があります。
どうやら、ネットの中でも「白い」側の世界には、どうしても私は馴染まない様子です。
さてしかし、私がどう思おうが、ツイッターってのは巨大なネットワークです。で、人間の集まりが巨大になると、色々問題が生じるのも当然のことで。
今に始まった話ではありませんが、その手のネットツール上で、どうにも馬鹿な事を書き込み、それが晒され、炎上するという一連の醜い流れ。祭りとも言いますが、それが最たるものです。
推敲
って言葉がありますよね。
文章を書くにあたり、自分の思索を練り、それを如何に正確に且つ分かりやすく文章化するか。吟味を重ねるその努力のことを言うわけですが。
私が以前、と言っても10年くらい昔。ツイッターもミクシーもブログすらも存在せず、まだここが「テキスト系サイト」だった頃。
ネットでのコミュニケーションってのは、リアルのコミュニケーションと異なり「文字のみ」でそれを行う性質上、極めて、意思疎通が難しい。しかしながら何を勘違いしたのか、ネットでのコミュニケーションは本音が言えて楽だの簡単だの言う憂慮すべき風潮がある。といった趣旨の文章を書いた記憶があります。
当時、掲示板などでの文字制限1000字。ツイッターのおよそ7倍の文章量ですが、それを利用した極めて安易なコミュニケーションがあったわけです。
で、これもいつぞや書いた記憶がありますが、「文章を書く」という行為について。
文章が短くなればなるほど高い洗練が必要で、自分の意図と主張を短文化する事は非常に難しい。という指摘をしました。ツイッターの文字制限は僅か140字。この制限で精確な文章を書くことは並みではありません。素人では不可能でしょう。
つまり、文章のみでのコミュニケーションの難しさも理解せず、本当の短文を書くことの難しさも理解しない、推敲とは程遠い脊髄反射的なコミュニケーション。
と、極めて悪辣に言えば、そういうツールです。
とは言え、それを仲間うちで行う分には何も問題はありません。別にクソ難しい議論ばかりがネットではありませんし、寧ろ、どうでもいい馬鹿な話の方が圧倒的に多いし面白いのも事実です。
しかし、致命的な誤りは、ネットが世界中に繋がっているという当たり前の大前提すら、忘れられている事でしょう。
学生にありがちな武勇伝を実名を晒して書く。
犯罪に類する行為の自慢。
自身の社会的立場を省みない軽率なツイート
などなど枚挙に暇がありません。
10年前にもあった問題を結局ユーザー側は克服せず、ツールだけが異常に進化した昨今。トラブルが多発するのは、当然の帰結と言えるかも知れません。
まぁもちろん、私だって、いくら推敲を重ねても程度はたかが知れてますし、だからどうしたと突っ込まれることばかり書いてますから人のことは言えませんが。
…更に思い起こせば、10年前の私も、バイトしていた某TSU○AYAでの日常を、酷い文章で書き連ねてましたね。
盆休みに溢れかえる親子連れに対してこんな所に来ずに墓参りに行け発言
台風上陸の前夜に、一泊二日でレンタルする剛の者に天気予報くらい見ろ発言
クリスマスイブに来たクソカップルの借りるビデオの中身をエロビデオに変えてやろうか…否、それじゃ火に油発言
…これはひどい。推敲してこの有様ですから、なおのこと救いようがありません。残念。
まぁネットは炎上しない程度にリスクを理解しながら楽しくやりましょうというお話。