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以前

この日記で、組織論の本を紹介した際に

「上司の馬鹿っぷりを嘆いていた人間も
結局まず間違いなく「分かっていない」上司になる」

といったことに少し触れたかと思いますが、最近、部支店長や課長クラスの人間の話を聞いていて、何故、そうなってしまうのかがしみじみ分かりました。

先日会議の際に、顧客の要望を実現するための商品改定要望を各人が発表し、それが一通り出揃った上での、議事を取りまとめていた課長の台詞。

「商品開発には通して貰えないと思うけど、ぶつけてみるね」

この台詞。ズレているとは思いませんか?
「顧客の要望」をまとめた「改定案」が「通して貰えない」んです。
これはトンデモナイことです。何のための「商品開発部」なんでしょう。全く意味がありません。そして更に深刻なのは、その課長のトンデモナイ発言を、誰も問題だと思わないことです。

「まぁ確かに社内には色々あるから仕方ないなぁ」

と、トンデモナイ間違いを、あっさり納得してしまう。
ここでもし「客の意見が通らないなんてオカシイ」という100%正しい真っ当な正論を言っても「お前は何も分かっていない。部支店間には色々あるんだ」という、全くもって馬鹿馬鹿しい1000%歪んだ組織的論理で、正論が封殺されてしまうわけですね。
で、客の声を無視して組織の都合で作った商品を、組織の都合で宣伝広告を行い、組織の都合で売ろうとするわけですが、勿論都合通りには売れないわけですよ。当たり前です。売れるわけが無い。

さて。

書いていてもう馬鹿馬鹿しいんですが、続けましょう。
彼ら、即ち部支店長や課長達も、昔は平社員。要するに日々お客さんと接していたわけですよ。で、彼らは基本的にトップセールスでした。「売れる人たち」でした。何故売れたのか?
客の声、客の要望をちゃんと聞いて、それを形にする努力をする、で要望と提案が合致する。だから売れる。単純な真理です。で、売れる人だから、要望のヒアリングに関しては天下一品。それを形にする工夫も然り。だから部下を抱える立場になっても「現場的なアドバイス」に関しては極めて的を射た指摘ができるわけです。

しかし、これが一歩進んで、組織レベルで商品を作っていこうとなった時、途端に彼らはボンクラになります。「客の要望」という10000%正しい真理を、自分たちの組織の都合でいとも簡単に捻じ曲げる。あれほど部下に「客の声を聞け」と怒鳴っていたクセに、です。

何故こんな馬鹿なことが平然と繰り返されるのか。誰もそれに気がつかないのは何故か。まぁ要するに、そういう事が長期的には自分たちの首を絞めるという簡単な理屈も分からない戦略眼がない馬鹿だから、という結論になるんですが、私はもっと根が深い問題のような気がします。
これは言わば、日本人固有の問題。日本人の価値観の問題のような気がします。

―飲み屋で、若い社員が先輩社員相手に
「課長は何も分かってないっすよー」
と愚痴り、先輩社員が
「そうだな。まぁでも、お前ももう少し大人になれば分かるよ」
となだめるという、日本人ならいつかどこかで見たことがある、妙に既視感のあるこの絵
「正論を言う若者」「組織の論理でなだめる先輩(上司)」
という図式。
そして「組織の論理が理解できて、初めて一人前」という価値観。
この日本人固有の価値観です。皆が首までどっぷり浸かっているこの価値観。これが諸悪の根源。この、日本に遍く広がるどうしようもないクソ価値観が、会社を傾かせ、業界を不振にさせ、ひいては日本の経済を停滞させた、この不況の、組織論的原因の一つのような気がします。

昔はよかったんです。組織の都合で商品を作っても。消費者のニーズが単一とまで言わなくても極めて読みやすかったわけですから、そういう時代においては、革新的な発言より、組織の論理が往々にして正しいわけでして
「お前ももう少し大人になれば分かるよ」
は、確かにその通りだったわけです。
が、今は違う。組織の論理、経験則は通用しません。日々変化する客の価値観を如何に先取りし形にするかが勝負です。旧態のシステムじゃ対応不可能。にも関わらず、世の中が変わったのに、組織の長たちの脳ミソは20~30年前のままなわけですね。
もうどうにもなりません。げんなり。

私は昔から不思議でした。
「正しいことが通らないのが世の中だ」ということが。
おかしいでしょう、そんなもの。おかしいんです。絶対に。でも世のオッサン達は皆そう言う。私も疑問に思いながらも、皆そう言うからにはそうなのかと思ったりしましたが
しかし、色々な組織を実際に見、聞き、確信しました。
やっぱり、正しいものは正しく、おかしいものはおかしいんです。
例えば、うちの会社で一番売れているある支店、その運営その価値観その戦略は、論理的で、合理的で、客観性に富む「正しい」ものなんです。私はそれをこの目で見た時、なんとうちの会社らしくない部署だと感嘆しました。
また、トヨタやBMWその他「エクセレントカンパニー」と呼ばれる企業のそれもまた正しい。

つまり、そういうことです。今、この現代において「正しい事」を行えない組織は、絶対に結果を残せない。即ち、生き残れないわけです。
だからこそ「組織の都合」をブッ潰し、「正しい事を行える組織」に作り変えなければならないわけですよ。経営者及び部支店長はそのシステム構築に全知全能を注ぐべきなんです。
しかるにうちの会社を見てみるとですね…まぁもう言うまでも無いですね。

…いつまで、もつかなぁ(遠い目)

旬の

ネタということで、ワールドカップのお話。
ネタ切れとか言うな。
えー、まぁ、大方の予想通りの結果に終わったわけですが。
私は何度も書きますがサッカーは門外漢ですので、戦略がどうこうとか戦術がどうこうとかは言いません。てか言えません。
ただ日本戦は全試合見ました。昨日も朝4時に起きてブラジル戦を見ました。まぁ何と申しますか。
ル・マンに例えるとプロトタイプカーとGTカー、全日本GTに例えるとGT500とGT300のようにまるでカテゴリーが違うモノの戦いですね。根本的に違う。勝つとか云々の話じゃない。
頑張ってください。あと300馬力くらい上げて空力もよくなれば勝てるかもしれません(ぉ

しかし今回の予選リーグ通じて、個人的には川口の相変わらずの神っぷりに大騒ぎでしたよ。クロアチア戦のPKが最大の見せ場でしたね。なんかあの時、確かに奴にはオーラがありました。見ていてゴールを割られる気がしなかった。で、ほんとに止めるし。ブラジル戦も決して悪いわけじゃなかったでしょう。特に前半なんか文句つけられない。あのヘッドは止まんないって。
FW陣の相変わらずのダメっぷりはスルーの方向で。
…FWって言うと、フランク・ウィリアムズをどうしても思い浮かべますね。そりゃ車椅子じゃサッカーは無理だ(イミフメ)

さて、スポーツの話題をする時、いつも私はインタビュアーの馬鹿っぷりを指摘するわけですが今回もやってくれましたね。
ブラジル戦後に中田捕まえて
「どうでしたか?」
あの中田が泣くほどなんです。どうもこうもないでしょう。死ぬほど悔しいに決まってますよ。その後もトンチンカンな質問を繰り返し、しまいには
「話聞いてます?」
とキレられる始末。
キレて当然です。よく中田はインタビュー嫌いだとか言われますが、こういうやりとりにゲンナリしているんでしょう。嫌われるには嫌われる理由があるんです。その辺を自問自答していただきたい。

まぁいいや。ともかく日本のワールドカップは終わりました。ただこれから真の世界最高の戦いが始まるわけですから、私も引き続き見ていきます。
当たり前のことですが「ホンモノ」は見てみると面白いものですね。

朝のニュースで

聞いたネタなんですが。新入社員にアンケートで
「デートの約束がある日に、残業を頼まれたらどーする?」
との問いに、約8割が「デートをブチって仕事する」と答えたそうでして。
それだけ聞くと、へぇ今の若者は(私も若者)仕事熱心だなぁと思えるわけですが
しかし。
この質問は色々と前提条件がオカシイ。
そもそも、この問いは「基本的に定時で帰れる」ということが前提です。
おいおい何だそれ?それがそもそもありえない。
また「デート約束」の重要度も分かりません。ただ飲んで食って懇ろになる通常デートなのか、或いは誕生日やらなにやらの記念日デートなのか。それも分かりません。
また新入社員に聞くにしてもそれが「リアルに恋人の居る新入社員」なのか「脳内」なのかも分かりません。もし束縛の強い相手だったらブチれるか?
全部どーなってんのか分からない。全くこの質問は曖昧です。従って結果も当てにならない。

えーとまぁ要するに何が言いたいかと言いますと

アンケートや統計などというものは前提条件次第でどうにでも変化するから鵜呑みは危険とかそーゆーことはどーでもよく
ただ単純且つ切実に彼女が欲しい、ということです(ぉ

新入社員の意識なんてどーでもいいんじゃ(゚Д゚)ゴルァ!

…それはさて置き、映画版デスノートを見に行きました。…物凄い話の転換ですが気にしないで下さい。
藤原がやってるアレですよ。
行ってみて不思議だったのは、この手の映画は普通、明らかにヲタ属性の人たちが多いものなのに、少ない。普通のカプールや、ちょいDQN系、更には主婦連合まで。要するに普通の映画と同じ状況が客席にはあるわけでして、これは驚いた。デスノートは普遍的なものなのか?
藤原見たさと考えるのが妥当か。まぁいいや。
で、内容ですが。まぁまぁ面白かったです。Lが非常にLっぽいのが一番よかった。ワタリも然り。夜神パパもよかったね。さて個人的にダメなのはリューク。フルCGなんですが、どうにも安っぽいまた声が中村獅童なのが更に不味い。大塚明夫あたりにしときゃいいのに。
で、肝心の夜神月。藤原の演技は大変上手いんですが。やっぱり彼の演技は舞台のそれ。画になるとどうしてもあの情感豊かすぎる所とか、自己陶酔系演技が浮きます。かといって藤原以外に夜神月をできる奴がいるかとなると浮かばない。
さて内容ですが、大筋はコミックスを踏襲します。かなりアレンジ加えてますが。てかどうやって決着付けるんでしょう。後編は3時間くらいやらないと付かないぞ。どーしたもんでしょう、まぁ期待しましょう。

…ここから本当なら上記のデート話と結びつけて落とそうかと思っていたのですがどうしても映画のネタバレになりますし、また結びつけに無理がありすぎるので諦めます。
ダメダメ日記。

クルマ

という物に対して、私の知識は如何程のものか。
ごく普通の人と比べれば、確かに色々知ってると思いますが「マニア」と呼ばれる人種の中では、まぁ中の下か。その程度かと自覚しております。
というか、私のクルマ知識は分野が狭い。特にドイツ車限定のきらいがあります。更に言うとBMWとポルシェに特化します。ベンツは、少しだけ。(あとフェラーリ少々、日本車も然り)
そして更に、私の知識は大きく文系知識に傾きます。
例えばBMWやポルシェのクルマの歴史や、会社の変遷、または自動車業界の動きなどには相応の知識があります、が、しかし。
クルマの現場(製造、整備、イジリ系)の知識、と自動車工学の知識がサッパリダメ。クルマの文系知識はあっても、理系知識はまるでダメなわけですね。これは困った大問題です。
何たってクルマは理系知識の集積です。それを知らずしてクルマを語れようか?これはいけない。全くいけない。今まではこれでよかった(?)ですが、今後は不味い。甚だ不味い。
何故か?
だってここを読んで頂いている方のなかに、自動車メーカーのエンジニアが
生まれたわけですからね。…これは恐ろしい事ですよ。
例えば、素人が作ってる住宅系のHPの内容なんか、私などから見てもチャンチャラオカシイわけでして。その事がここにもそっくりそのまま当てはまるはずですから、そりゃ恐ろしい。
プロ相手に生半可な知識で語る愚を犯すわけには絶対にいきません。
…つーかそもそもここの読者様は理系の人が多いんだよなぁ

さてしかし。所謂「自動車工学」というものを、数ⅠAどまりの算数力と、物理知識皆無の人間が理解できるのか?という、大変困った問題につきあたります。事実、専門書と呼ばれる本を読んでもサパーリ理解不能。
自動車の構造、パーツ、その原理原則、その設計思想、その製造工程を
ど文系人間が正しく理解するにはどうするか。本来はどーにもなりません
しかし!!
それにぴったりの本がございます。

福野礼一郎著「クルマはかくして作られる」「超クルマはかくして作られる」

クルマの構成パーツのその意味、その工程、その実体を明らかにした素晴らしい本、らしいです。CGに4年間くらい連載してたのをまとめたものですね。CG連載時はさらっと目を通すだけでした。すいません。
本屋で探しても見つからないのでアマゾンで買いました。しかも豪華版(死
もうそろそろ届く予定。

てか、何故、今まで読まなかったか?
……まぁ単に、理系知識への欲求が少なかったからですね。エンジンの構造がどーこうとかは無論興味はありましたがねぇ
というわけではせさんのご就職は私にとっても大変良い機会となりました。

これで文理両面から、クルマ知識を高められるわけですね。
しかし高めてどーすんだろう。という素朴な疑問も浮かびますが。

いっそ、脱サラして弟子入りでもしよーか(ぉ

真面目な話は

飽きましたので、クルマの話をしましょう(ぉ
何がいいかな、ベンツの話をしましょう。ベンツ。ベンツ。皆大好きブランドブランド。えーっと長くなるので結論を先に言うと、今のベンツは、ベンツじゃないです。一般にイメージされる「メルセデス」はもうどこにも存在しません。馬鹿高いトヨタ車と思っていただくのが適切です。
ベンツのかっこしてベンツマーク(スリーポインテッドスター)つけるだけでトヨタの倍額以上で売れる。ボロイねぇ。ほんと。

じゃあ具体的にどういうことか。

ダイムラー・ベンツというメーカーの作るメルセデスという車は、かつて世界一でした。かつてと言ってもほんの15年くらい前までの話です。最近とんと聞かなくなった「最善か無か」という、余りにも分かりやすい哲学を本気で貫く、命かけた車作りをするメーカーでした。
グロッサーメルセデス、プルマンなどの伝説的名車を持ち出すまでも無く、いつの世もメルセデスSクラスは世界最高のサルーン、ミディアムクラス(Eクラス)は世界最高の実用車でした。

じゃあ約15年前に何が起こったか。セルシオの登場です。よく言われる「レクサスショック」です。セルシオは「異次元の静粛性」「革命的なメンテフリー」を実現し、それが高級車の世界に衝撃をもって受け止められたわけですが、その目に見える変革以外に、決定的な革命が高級車の世界に起こります。
それは「コスト意識」の芽生えです。
それまで高級車は、本当の意味で高級でした。求められる水準の遥か上を行く過剰品質で作られる。材料、設計、工程全てがそうでした。それが高級車の高級たる所以でした。そしてその高級車達の中でも、更に最高の超過剰品質がメルセデス・ベンツだったわけです。
しかし1990年代以降「如何に効率良く物を作り、売るか」という、全く新しい哲学が世界中に蔓延し始めると、過剰品質は「無駄」以外の何物でもなくなってしまいました。
結果、メルセデスは先々代のSクラス、同じく先々代のEクラスを最後に、別の車。別のメーカーになってしまったのです。

先代Sクラス(街中で今一番多く走ってるでかいベンツ)先代Eクラス(ちょっと角ばった四つ目)は、露骨なコスト削減をモロに受けた結果、完全無欠史上最低のS、Eクラスになってしまいました。そりゃそうだ。それまでコストなんて毛ほども気にしなかったのに、突然コスト削減なんて言われてもコストと品質のバランスなんて取れるわけが無い。
じゃあ今の、現行S,Eはよくなったのか?
よくなりました。先代に比べれば。あくまでも史上最低の先代に比べれば。先代よりコストと品質のバランスを上手く取れるようになったという意味において、よくなりました。

詳しく今のベンツのラインナップを見てみましょう。

一番小さいのは、テストでこけて有名になったAクラス。新型はどうだ?こけないか?
新型Aクラスをベースに少し大きくしたミニバン。ベンツ版bB、Bクラス。
190Eを始祖とする、セダンじゃ最小Cクラス。
見た目はEだが中身はC、ぼったくりクーペCLK。
ベンツの中核、かつて世界最高の実用車、今アッパーミドルサルーンと言う名のドル箱Eクラス。
ベンツの旗艦、かつて世界中の車の規範、今電子制御てんこ盛りのクスリ漬け費用対効果最高Sクラス。
Sはクソでもクーペはいける、Sベースの超高額クーペ、CL。
先代はSUVブームに乗って適当に作ってみましたカッコだけベンツ、現行はどうかなMクラス。
Bクラスじゃ小さいぞ、も少し大きなのが欲しい。Mベースのブサイク大型ミニバンRクラス。
どこから見てもどう考えても値段高すぎ。ワンボックスのVクラス
伝説のガルウィング300SLから続くメルセデスの威信、こいつだけは現行も凄いぞSL
マツダ・ロードスター人気にあやかり作った屋根は硬いがチャラいオープン、現行はマシ?SLK

さて、このなかで90年代、即ちベンツの暗黒時代に開発或いはモデルチェンジされたのは
初代A、先代C、初代CLK、先代E、先代S、初代ML、初代SLK
要するに殆どです。殆どが史上最低の時代に史上最低の車に堕ちたわけですが、じゃあ今、現行型はどうか。現行Eは、Sはどうなのか。
車の技術(特に電子制御系)コストと品質のバランスなどは、また世界最高のレベルに戻りました。じゃあいいじゃないか?ベンツは世界最高じゃないか?そうかもしれません。但し断じて違うと断言できることがあります。
決定的なのは先頃モデルチェンジした旗艦Sクラス。最近ちらほら町でも見かけるようになりましたが、しつこいようですが、Sクラスとはメルセデスの魂のような車です。その車がですよ。

何ですかあのトランクリッドの形状?もうまんまBMW7
更に何ですかあのインパネの並び?もうまんまBMW7
更に更に何だあのファンクションキー?完全無欠にBMW7

私は東京モーターショーで初めて実物を見たとき、もう本当にメルセデスは死んだと確信しましたよ。
BMW7といえば、ベンツSにとって不倶戴天の敵ですよ。絶対に何があろうが死んでも負けられない敵ですよ。その敵のデザインコンセプトや制御ツールをパクるか普通??一昔前のメルセデスなら、んなこと死んでも有り得ません。魂も哲学もあったもんじゃない。

・売れると思えば、敵の物でも、恥も臆面も無く平然とパクる。
・世界最高の電子制御、ギリギリピンポイントのコスト管理。

今のベンツはそういうメーカー、そういう車作りです。
さてこの特性、どこかで見たことありませんか?
そうです。我らがトヨタです。実質GMを抜いた世界最高の自動車メーカーにして世界最高超絶優良企業、トヨタ自動車株式会社ですよ。
レクサスに衝撃を受けたベンツは20年近くかけてレクサスに、トヨタになったわけです。じゃあトヨタとベンツの唯一にして最大の違いは何か?圧倒的なブランド力。それです。
トヨタが喉から手が出るほど欲しい、商売成功約束手形ブランド力ですよ。
今のベンツは、ベンツの顔とベンツマークをつけ、ブランド力でドーピングしたトヨタ車です。
んなものに莫大な金を払うならカローラに乗りましょう。全く金の無駄ですから。カローラ、いい車ですよほんと、いや嫌味じゃなく本当に。Aクラスなんか買うくらいなら絶対お勧め。軽く1万倍くらい価値があります。
今のベンツで本当にいいのはSLとCLですね。あとC、Eのごく一部の車種。Sは車としては良くとも魂が腐ってます。それでもいいならどうぞお好きに。

というわけで、ブランドの金看板の裏側にある本質は恐ろしくもトンデモナイ世界、というお話。
…知らないほうが幸せな話とも言う。

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たまに

というか、結構頻繁におこる、教鞭を取る公務員の方による性犯罪ですが
その種の報道がされるたびに疑問に思うことがあります。
それは、その事件の背景だとか、罪を犯した人間の人間性とかそーゆーこともさることながら、いつもよく分からないのは

「みだらな行為」「わいせつな行為」

って何だ?
ということです。
みだら。わいせつ。って具体的にどう違う?考えても分かりません。
調べてみました。

みだら 1 0 【▼淫ら/▼猥ら】
(名・形動)[文]ナリ
〔「乱れる」「乱り」と同源〕
(男女の関係が)性的に乱れていること。ふしだらである・こと(さま)。
「―な行為」「―な関係」

わいせつ 0 【▼猥▼褻】
(名・形動)[文]ナリ
(1)いやらしいこと。みだらなこと。また、そのさま。
「―な行為」
(2)〔法〕 いたずらに性欲を興奮・刺激させ、普通人の正常な羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反すること。また、そのようなさま。
「―な小説」「―な話」「―な絵」
[派生] ――さ(名)

三省堂提供「大辞林 第二版」

…えっと困りました。「わいせつ≒みだらな」らしいですね。
でも報道では使い分けがなされています。ので、そっちの区分を調べてみるとどうやら

「わいせつな行為」は性交渉を結ばなかった場合
「みだらな行為」は性交渉を結んだ場合

というどこでだれが決めたのか。不思議な暗黙の了解があるようです。

さて性犯罪の報道は大変難しいです。何故ならば報道すること自体が被害者を確実に傷つけますからね。所謂セカンドレイプです。しかし、報道されないわけにもいきません。
それゆえの、こういった曖昧な表現なのでしょうが。

ですが、しかし。あえて言いますが、被害者の保護が絶対の最優先ではありますが事実を誤認させるような報道は如何な物でしょうか。
例えば「暴行」と「強姦」、一般には違うように思えますがしかし報道では同義で使われます。ですが「暴行」だとまるで暴行罪(蹴る殴るとかね)のようで大変軽い印象を与えかねません。
これも恐らく被害者の人権保護でしょう。

また強姦でも「強姦」と「準強姦」があります。「準」という単語は、あたかも軽い印象を与えますがトンデモナイ。スーフリなんかがしたように酒やクスリなどで「抵抗できない状況」に陥れてから事に及ぶというなんつーかどちらにしても言語道断。最悪な話です。

さて何が言いたいか。
要するに、曖昧な表現は、真実を伝える事ができないどころか、かえって「軽い犯罪」かのようなトンデモナイ錯覚を与えてしまうということです。
日本語は直接的表現を避け、オブラートに包むような表現が大変多く、それが美徳でもあるわけですが、大体にして問題の本質を暈し、錯覚を与えかねません。
例えば「差別用語」なんかも全く同じですね。ボケを痴呆症にそして認知症へと呼び変えても、分裂病を統合失調症に呼び変えても、何一つ差別の根源は是正されません。

何を隠したいのか。とても不思議ですが、何故か、どーゆーわけか、ずっと日本人はこの調子です。国民性なんでしょうか。決定的なことが進行しているのに、誰も本質を見ない。とても恐ろしいことです。
マスメディアに改善を求めるのは望み薄も甚だしいので、じゃあどうするか。欺瞞や曖昧な事柄に対して、本質を知ろうとする努力が必要になります。その点、最近はネットのお陰で大変その辺が楽になりましたね。
ほんの少し昔まで、本質を知ろうとしても大変な苦労を伴ったのが、今や簡単に情報は手に入ります。適切な情報を取捨選択する情報リテラシーが個人に強く求められますが、真実を知ろうとする姿勢さえあればいくらでも知ることが出来る、という大変有り難い時代とも言えるでしょう。
逆もまた然りです。
どちらの側に立つかは己次第といったところでしょうか。

しかしまぁ騙されるのは心地よく
真実を知ってもどうにもならないことが圧倒的に多いわけで、その辺が微妙な無力感に繋がったりもしますね。ただしかし。一人ではどうにもならないことでも、多くの人間が本気になれば変わるのが世の中です。
ITはそういう意味において、力を発揮する事が出来るのか。
GoogleやWEB2.0の行く先に、そういう思想面での革新があってもいいのではないかなぁと思ったり思わなかったり。

別に宗教や電波系の話なんかではなく、日本の経済や財政やその他の社会保障制度の決定的な破綻。またはインターネットを媒介とする革命的な世界の変化は、今、この瞬間も確実に進んでいるわけですが
じゃあそれが目に見える物として表れた時に、自分がどうあればサバイバルできるのか、という恐怖に近い問いがあります。

危機感こそが想像力を喚起し、また質の高いモチベーションを生む。

と、どこかの小説でありましたが、今を生きる我々は、そういった問いを自らに課し、明確なビジョンを自らで定め、そしてそこに邁進する努力をしなければ、本当の意味での負け組に、底辺に追い込まれると強く認識する必要があるような気がします。
正しい事を知るというのはその大前提、その第一歩でしょう。
また変な宗教なんかは「正しく知る」ことの対極ですので要注意。

まぁしかし、しんどい時代ですね
でも目をつぶって流れに任せると「下流」に流れ着きますから、歯を食いしばって遡上しなければなりません。

…しかし鮭にしろ何にしろ、遡上が終わったあとには死ぬものでして。
何にせよ、無常な世の中ですね。

世の中は

ワールドカップで大騒ぎですね。
私はサッカーはサパーリワカンネな人ですが、まぁ4年に一度くらいは見てみようということで、初日のドイツVSコスタリカ、昨日のイングランドVSパラグアイも両方見ました。お陰で死ぬほど眠い。
本来ならここから解説が始まりそうなもんですが、なにぶん私サッカーは門外漢なものでして語る資格を持ちません。
じゃあなんで話題として持ち出したのか?
そりゃあんなネタがないからに決まってんでしょう?(ぉ
というわけでネタがありません。サパーリありません。
平平凡凡と日々が過ぎ去っていきます。何か、こう、劇的な何かがないでしょうか。…何もないなぁ

てか最近テンション下がり気味。超下がり気味
…そう言えばDQNな歌に、アゲアゲなんたらとかいう、致命的な歌があるようですがその「アゲ」って、語源はageなんでしょうか。DQN厨だからage?絶対違う。

まぁなんで超絶テンション下げ気味かと申しますと
職場の後輩達がまた(二人も)辞めましてねぇ
…何だかなぁ
上も戦略眼に富んだ人が他部署に行ってから、今の執行部はダメダメだし
……何だかなぁ

もう何か本当にげんなりです。

勧誘

電話のお話が出てましたが、まぁかける側からもお話させて頂くと

「やりたくてやってるわけじゃないんじゃ(゚Д゚)ゴルァ!」

というのが本音でございます。いやほんと。心底やりたくない。マジで。
我々住宅メーカーが電話するのは、例えば一度住宅展示場に来て記名を貰った相手であったり、資料請求があった相手であったりします。
所謂「個人情報保護法」施行後は、名簿業者なんかから高額所得者の名簿を入手しそこにDM&℡コールなんて合せ技は禁止になりましたから、そーゆーのはしません。

じゃあなんで電話するかといいますと。
それが営業にとって義務だからです。仕事だからです。やらなきゃ上司に
ギャーギャー言われるわけですよ。
決して、神に誓って、好きでやってるわけじゃありません。
また電話の最終目的は、アポイントの取得です。例えば商品説明会やその他イベントへの勧誘ですね。
もう一つは、その客が果たして、今、どーゆー状況なのかという計画状況把握です。計画を進めているのか、進展がないのか、何か問題を抱えているのか、それに対してどう解決策を提案できるのか、といった諸々ですね。

では電話でどこまで聞き取れるか。それが問題になります。
まぁ多くの奥様は「主人がやってるのでわかりません」とお答えになりますが、それは99.9%嘘。
奥さんが住宅購入の計画に感知しないなどということは、特殊な家族関係以外は絶対に有り得ません。無論、関与の度合いの差はありますが「知らない」は有り得ない。住宅購入に関して、奥さんの意見はご主人のそれの300倍は強力です。
ぶっちゃけ奥さんに気に入られたら勝ちと言っても過言ではありません。
即ち「主人が(ry」
という文句が出る時点で、相手にされていないということです。或いは計画が本格始動する前だということです。

あとは例え「いえ、まだ全然先ですから」と言われても信用は絶対にできません。というか、普通、殆ど知らない相手からの電話に対して、真っ正直に答える人は居ませんから、うちを前向きに検討してくれている以外は、嘘つかれるのが普通です。
じゃあその「まだ全然先」が本当に先なのか、嘘なのかを見抜く必要があります。…そこはもう理屈ではなく感覚の世界。
あ、こいつ嘘ついてやがる。と気付くか否か。
まぁ電話かけ続けて5年にもなれば大抵見抜けます。
見抜いたら、じゃあそいつをどうやって引っ張り込むか。奥さんはダメです。女性は自分の当初の態度をそう簡単に変えません。なんとしてもご主人を引っ張り出さないといけません。ご主人なら、話を聞いてくれる可能性はありますし、そこで有効な話ができれば、じゃあもう少し具体的に話を聞こうか、となり実際の商談へと動くわけです。

…まぁここが私の営業としての限界だったりします。
どうしても感情ではなく理屈で話をするんですね。でも大概の女性は理屈では折れません。ですから、その他の部分で盛り上げて楽しませて引っ張り込むということが必要なんですが無理。嫌い。ダメ。どうしてもできない。またやろうと思えない。営業力を磨こうというモチベーションがない。だってやりたくないもん。嫌いだし。なら辞めてしまえ。
…そのつもりで異動願いを出してるんですがねぇチクショウ

というわけで、これからその℡コールを行います。あぁヤダヤダ。

この日記で

私が書くものといえば、車のことばかりだと皆さんは思われてるのではないでしょうか。てか、私自身そう思ってたんですが、カテゴライズの「Four wheels」即ち車話の総数を見て驚きました。
なんとたったの「4つ」なんです!!
つまり全然車の話をしていないわけですよ。これはイケナイ。こんなことでは「車系総合日記」を謳う馬の餞の名折れ。
いつからそんな謳い文句になったのかは知りませんが、今日はそんな車のお話。というか、「車の雑誌」のお話。

さて「車の雑誌」というのは、車雑誌専門の編集スタッフと所謂「自動車評論家」と呼ばれる人たちが作っていくものです。そして当然のごとく、その雑誌の質は、編集スタッフと評論家の力量に左右されるわけですが、しかし。なかなかそう理屈どおりにいかないのが世の常でして。
車雑誌にしろ何にしろ、本を手にとって見ていただくと分かるのですが、とにかく「広告」が多いわけですよ。そして車雑誌の広告は当然、車メーカーのそれが殆どです。雑誌編集側としては、広告は収入の柱。大黒柱です。
ぶっちゃけ神ですね。一柱50万くらいらしいですが。
さて。
じゃあそれがどういう問題に繋がるか。
神様である広告主の商品=車を、批判することが事実上不可能なわけです。
…車雑誌が車を正しく評価できない。ま、よく言われる「チョーチン記事」になるわけですね。私が散々レクサス立ち上げの際の自動車雑誌の姿勢を批判したその背景には、そんな理由もあるわけです。

しかしですね。ダメな車はどんなに褒めてもやっぱりダメなわけでして、神様は実は裸なわけですよ。じゃあ「裸だ!!」って叫ぶ奴はいないのか?居ます。ごく少数ですが。
その筆頭、最右翼の自動車評論家が、福野礼一郎というオッサンです。

この人、何者かというと、もともとはどうやらイイとこのボンボンみたいですがその後、不良になって暴走族になり、option(改造車雑誌)の編集をやり、自動車評論家になった、という原初の経歴だけをみるとDQN丸出しですが、実態はさにあらず。
極めて頭は切れますので、自動車工学に留まらず、人間工学、機械工学に精通し車好きにはよくある話で、時計やミリタリーにも造詣が深いという何でも屋。で、その真骨頂は、独自の視点から一貫した批評を行い、褒める車はトコトン褒め、貶す車は、トコトン貶す。で、基本的に嘘がないです。文体も硬い物から軽妙なものまでなんでも来い。そして何と言っても知識が圧倒的。半端ないです。
さて、「独自の視点」と言いますと身勝手な感じがしますが、福野氏の「独自の視点」とは至って真っ当な物です。
即ち「車の良し悪しは基本で決まる」
じゃあその「基本」とは何か?
「物理法則」です。ヨーだとか、慣性モーメントだとか色々ありますが、ごく単純に書きますと「軽くて、コンパクトで、重心が低い」車は、走りも燃費も性能もいいというごくごく当たり前の話。その基準で、車をブッタ切るわけです。ですから、独断でも偏見でもなんでもない。説得力は天下一品です。
さてしかし、以前にここで書いたと思いますが、世の消費者の自動車への要望は「いい基本」とは相容れないモノなんですね。で、車メーカーは基本的に哲学を売っているわけではありませんから、マーケティング結果を車に詰め込みます。結果出来上がったものは基本を逸脱する。で、基本を逸脱して出来た車に対して、福野氏がどーゆー評価をくだすか。
ケチョンケチョンに貶すわけですよ。じゃあどうなるか、広告代理店キレますね。代理店キレたらどうなるか。編集は青くなりますね。で、干される。
…普通の人なら、そーゆー目にあうと、「大人」になるわけですが。しかし。奴はならない。
またぞろどこかでヤラカスわけですよ。しかし干されても干されても復活します。何故か?彼が書く物が、(一つの見方ではありますが)正しいからです。でそれを評価する読者がいるから、何度でも蘇る。

さて、そんな福野礼一郎が、自分の信念「いい物はいい、悪い物は悪い」「価値ある情報なら客はつく」という、まぁごく真っ当な、しかし世の中そうはいかない信念を形にした

「クルマの神様」

という雑誌を、昨年の夏くらいでしょうか。出したわけですよ。NAVIの別冊としてね。で、まぁそれが極めて面白かったわけですが、世の中当然の事ながら売れなきゃどんなにいい物でもダメなわけです。
別冊扱いで出た本が、月刊誌に格上げなんてことは、今日の雑誌不況の中じゃ至難。発売から3ヶ月が過ぎ、半年が過ぎ、それでも何も音沙汰無い。
あぁ没企画になったかと悲しく思っていたのですが、しかし。
この5月29日「クルマの神様」は季刊誌として復活しました。
いや私は嬉しかった。速攻で買いました。1470円というベラボウな高値ですが、チョーチン記事オンパレの通常雑誌に800円900円払う事を思えば安いもの。
で、今回の「クルマの神様」は試乗記がメインです。例によって極めて面白い。というか読んでためになります。てか、私が知らないことを書いてくれるのは福野氏くらいのものです(ぉ

さて、1470円をベラボウな高値と書きました。記事の質は当然高いのですが、紙の質、印刷の質などは、ぶっちゃけ680円どんなに頑張っても1000円以下の雑誌レベルってところでしょうか。
じゃあ何故そんな値段か?季刊誌だからという理由もあるでしょうが。
実際手にとって読めば違和感に気付くはずです。というのも、今回の「クルマの神様」タイヤや工具メーカーの広告はありますが車メーカーの広告が、一切無いんです。つまり、雑誌作成における重要な収入源の一つが、恐らく意図的に抜け落ちています。だから高い。じゃあこれはどういう思惑か?

絶対にチョーチン記事は書かない、という方向性の表明でしょう。

…その心意気や良し。
1470円だろうが2000円だろうが払ってやる。
というわけで「クルマの神様」ごく一部の人間に大好評発売中です。
皆さんも是非。