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月日の

経つのが早いことを実感する瞬間はままありますが、私にとってその一つがここの設立日です。というわけで、昨日3/19で、ここ馬の餞をはじめてまる13年が経ち14年目に突入しました。14年て。
…ということはうちの部署の新人の子に換算すると8歳の頃か。そうですか。うわぁ
さて気を取り直して最近のこと。
うちの嫁の社会…否、会社復帰に伴い、子供が保育園に通い始めました。これも紆余曲折ありまして、全く保育園が決まりませんでした。所謂待機児童ってやつですね。認可保育園は全て満員。無認可は鬼のように高い。10万ですよ10万。嫁の給料過半が飛びます。働いたら負けですね。結局、無認可ながら少し安いところの空きができましたのでそこに滑り込む予定。糞高い地方税払ってんだからほんとに何とかしてほしいものです。ていうか、しろ。こんなんじゃ少子化なんか解決する訳がない。
気を取り直してIYH話。
コンデジ話は結局リコーのGXRで決着しました。
某オークションにて本体、Mマウントユニット、ビューファインダーのセットを落とした次第。レンズはElmarit28mmが常に付いてますが、換算42mmというのが、どうにも中途半端。Nokton40mmか、Summaron35mmを物色中です。詳しい話はまた今度に。
というわけで、毎度変わらない日常ですが、この一年もまた宜しくお願いします。

帰ってきた

と聞いたら、ウルトラマンとかソロモンとか思い浮かべますが、そうではなく。
「帰ってきたヒトラー」
という小説を読みました。一昨年ドイツで発表され、結構話題になり私も訳本が出たら読んでみたいと思ってたものです。
さて、どんな話か。
1945年4月ピストル自殺を図ったヒトラーその人が、何故か死んでおらず、何故か現代のベルリンに降り立ったら?
ヒトラーは、周囲からヒトラーそっくりの毒舌芸人と思い込まれ、テレビの世界に引っ張り出されます。初めはただの新人毒舌芸人だったはずが、ヒトラーは現代世界とのギャップを埋め、その悪魔的な頭脳を駆使しいつのまにか……というお話。
物語は一人称で描かれますが、その語りが、ヒトラーだったらこう言うだろう、と思わせるリアリティーに溢れます。
非常に面白かった、というより、興味深い話でした。この小説は大変示唆深いです。

もし本当に、ヒトラー…ではないにせよ「ヒトラー的なモノ」が現れたとき、果たして、それを拒絶できるか?

戦後ドイツは基本姿勢として、あの戦争の責任をヒトラーとナチスに全て押し付け、一般のドイツ国民は被害者である、としてきました。まぁとんでもない欺瞞なんですが、この小説でも言及があるように「彼を選んだ側の責任」を追及してはいない訳です。
日本もそうですね。戦後民主主義教育は「戦争は悪」と叫ぶだけで、あの戦争の本質と問題点に全く言及がない。
つまり「何が悪かったか」の追求がなされていない訳ですから、また同じ過ちを繰り返す危険性が多いにある。
上の問いに「絶対に拒絶できる」と言える者はいないでしょう。
さてドイツでは最近、この小説が代表するように、これまでの「ヒトラーが悪い。俺ら被害者」という姿勢を改める動きがあるようです。あの戦争を「歴史」として正面から捉える動きですね。日本も最近、本当に少しずつではありますが、そういう姿勢が見られるようになってきました。
主義や主観や感情や善悪を捨て客観的事実を集積し体系化する。「歴史」とはそういう物です。
我々は早急にあの戦争を「歴史化」する必要があると思います。さもなくば「ヒトラー的なモノ」に、いつか必ず、また乗っ取られる。
そんなことを考えさせられる小説です。またどうやら映画化もされるようです。
ヒトラーの映画と言えば、ブルーノ・ガンツ主演の「ヒトラー最期の12日間」という素晴らしい映画がありましたが、折角ですのであれと同じくらい作りこんで欲しいものですね。