今年もお疲れ様でした。
来年こそは更新したいと思います(棒
canonの日常…?
一応生きてます。
来年の抱負は、トランスフォーマーを観に行く、です
https://tf-movie.jp/sp/
一寸の云々。というわけで2001年3月19日に始まりましたこの馬の餞は遂に20年を閲するに至りました。20年て。
当時生まれた赤子も今や成人です。あぁそう言えば最近は18歳で成人ですかそうですか。本当に色々変わるものですね。
20年。
当時大学生だった私も今や3児の父です。その間色々な事がありましたが、日記のように書き連ねてきたお陰で、その道のりを振り返ることができます。良いことも悪いことも…まぁ黒歴史が大半ですが、昔の自分がその時々で何を考えていたのか分かるのは、なかなか面白い物です。
さて、では20年記念に何を書くか。
思いついたのは自薦ベスト馬の餞的な、ベスト記事をランキング形式で上げようかと思いましたが、20年分振り返るのがしんどいので却下。色々考えた結果、ちょうど今、ここらしい、相応しいネタがありました。
シン・エヴァンゲリオン
…まぁいいじゃないですか。今更かっこつけても仕方ない。不本意ながら致し方ない。これも何かの縁です。可能な限りネタバレ無しで行きます。
さてそうですね。
私が初めてエヴァに接したのは、1996年5月24日でした。17歳の誕生日の翌日でしたから、日にちまで覚えています。その日、友人からテレビ大阪の本放送を録画した2本のVHSを借りた、たったそれだけの出来事、その軽はずみな行為が、私の人生を大きく、そして決定的に変えることになりました。
まぁ要するに、ドはまりした訳ですね。
あとはもう、あの当時、一般的なリアルタイム世代のエヴァオタが歩んだ道を突き進んだわけです。考察本にアニメ系雑誌、サントラから派生してクラシック音楽、キリスト教関連、LDプレーヤーを買ってディスクは毎回発売日に購入。特に21話「ネルフ、誕生」以降の新作カットには狂喜乱舞しました。
そして劇場版です。当時はシネコンなんてありません。座席指定などもってのほか。始発で京都祇園会館に向かい「Death & Rebirth」そして、「Air/まごころを、君に」を鑑賞し、私のエヴァンゲリオンは終わりました。
私の中で最高はテレビ版。旧劇はTV25、26話を「アニメーションとして究極に作り直したもの」という受け止め方でしたし、それは今でも変わりません。一般に旧劇のラストはエヴァオタに対し、アニメから現実へ帰れ、というニュアンスで捉えられてますし、事実そのような描写もありますが、私は別にそのような受け止め方はしていませんでした。ただ、エヴァ以後、エヴァに感化され粗製乱造されたアニメ群には全く食指は動かず、ごく一部の例外(ビバップ)を除いて、私がはまるアニメはなく、自然と、アニメからは遠ざかる事になります。
…それがかなり後になってヒョンな事からハルヒにはまり京アニ沼に…というのはまた別のお話。
さて、セカンドインパクトも起こらず、世の中は21世紀を無事迎えたその6年後、私がブラック企業で悪態つきながら働いていた頃に突如、庵野の「所信表明」なる噴飯モノの宣言と共に、今度は新劇場版が始まりました。
それ以降については、ここ馬の餞で何度も言及しているので、そちらを参照頂くとして、この2021年3月、ついに、ようやく「最後のエヴァ」となる「シン・エヴァンゲリオン」に至るわけです。
しかし、部下もいる社会人で家に帰れば(最近在宅メインですが)3人の子供がいる、そんな男が2時間半の映画をおいそれと見に行くわけにもいきません。レイトショーが精々です。土曜の朝にエキスポシティのHPを見ると、ちょうどIMAXの最後尾2列目ど真ん中に空席を見つけ予約完了。夜、子供を風呂に入れ、晩御飯を食べ、寝かしつけた後、カレラ号でエキスポシティへ。土曜のレイトショーだからかカップルが多く
その他も20代30代がメインで、我々の世代は圧倒的に少ない。映画が始まる前から「25年」という月日を否応なく感じます。
さて、では、シン・エヴァンゲリオンはどうだったのか。
……よかった。
「よかった」の前に「……」がつき、後に「!!」はつかない。そういうニュアンスです。しみじみ。そう、しみじみ…よかった。
庵野が言うように、エヴァは繰り返しの物語です。繰り返す。そう、繰り返すんです。高校生の私が祇園会館で見た「Air/まごころを、君に」
基本的にはその繰り返しです。ただ25年分の積み重ねがそこにはしっかりと存在していた。それが、しみじみ…よかったです。
TV版と旧劇場版を知らず、新劇場版のみを見た人が居れば、それはもしかすると昔の私たちが受けたのと同等の衝撃があったかもしれません。
シン・エヴァンゲリオンは、見る者がそれまで積み重ねてきたモノによって、受け止め方が全く違う映画だと思います。
つまりは「良い映画」です。私はそういう映画こそが「良い映画」だと思います。
映画が終わり、ほぼ無言でそれぞれの帰路につく観客。私はカレラ号で雨の中環を走り、コンビニに立ち寄ってエビスビールを買いました。
帰宅し、静かにバッハを聞きながら、ミサトさんへの手向けとして、静かにエビスを飲みました。
まぁなんだ、つまり要するに、25年は長く、私も年を取りました。でもそれも悪くない。そんなAM2時過ぎ。そんな映画です。
…とか感慨深い思いをしていますが、シン・ウルトラマンだとかシン・仮面ライダーとか言ってますね。ウルトラマンは超見たいです。ライダーはまぁどっちでもいい。個人的にはシン・ナウシカが見たい。それまでは死ねない。それまではここを続けたいと思います。ぼちぼちやりますので皆さん暇な時に見てください。これからもよろしくお願いします。
おめでとうございます。何だか知らない間に2020年が終わり2021年になったようです。「2021年」て。遠い未来な響きがしますが、コロナ問題に終始して昨年は終わりました。まぁテレワークがかなり進んだことは数少ない「未来感」がある事柄でしたでしょうか。
そう言えば確か昨年は、私の大厄の年だったはずですが、特に何もありませんでしたね。もしかすると私が厄年だったせいで世界にコロナが…いやそんな。その理屈で行くと、今年は後厄ですので、コロナの克服は来年以降ということになるのですが、なんだかリアルにそんな感じもしてきます。
さてそんな今年は、私の社会人歴20年&ここ「馬の餞」の満20年(!)という記念すべき年でもあります。というわけで、私の今年の目標は、物欲を満たしつつ3人の子供を楽して養うための資産形成。という大矛盾を共に満足させることです。
解決方法としては、真面目に働いても限界がありますので、投資しかないでしょうね。
私はこれまで、ドル円双方での積み立て保険、確定拠出年金、積み立てNISAの3つを細々とやってきましたが、昨年から株式にも手を出してみました。コロナで暴落した時にうちの株を買えるだけ買って11月末にほぼ最高値で売り抜けました。1200人からのリストラをし、残業代はゼロになり、ボーナスも減少という従業員にクソな弊社ですが、株主には手厚いので、その権利をしっかり行使した次第。
さて人間って面白いもので、勝つと欲が出てきます。手にしたあぶく銭でD-10X買うよりも、それを元手に更に増やしたくなるのです。
ただ私は今のアホのような株高の中で、更に大きく上げる個別銘柄を見抜く目など持ち合わせていませんので、ダブルインバースをがっつり仕込み、いつか必ず来る暴落の日を気長に待つことにしました。これで逆に日経平均30000円突破とかならギャグですが。まぁそうなったら更に買い増しするだけですがね。いずれにせよ元はあぶく銭。スッた所で痛くも痒くもない。
FXとか信用取引とか空売りとか、そーゆーアホな短期勝負をするから負けるのであって、気長にやるなら絶対に負けない方法はいくつもあります。
私は博才も無ければ、ファンダメンタル何それ美味しいの?というアホな子なので、気長にやります。気長にやると今年中に勝てないですが、まぁそれはそれ。
あと今年こそはアニバーサリーイヤーということで、ここの更新をもっと増やします。
…毎年同じこと言ってるとか言わない。
では皆さん、今年もよろしくお願いします。
※ダブルインバースとは:普通、株は値上がりすると儲かる物ですが、日経平均に連動して日経が「下がれば上がり」「上がれば下がる」という不思議商品。決済期日の無い空売りのようなもの。ただ長期保有すると減価するので儲けは減る。この辺ややこしいので、詳しく知りたい人は各自ググってください。いずれにせよ今のような日経平均はいつか必ず暴落するので、いつか必ず儲かる。というかその日までひたすら待つ。果報は寝て待て。
今日、第三子が生まれました。
私は運命とか宿命とか信じないタチですが
私のカレラ号は将来こいつの物になるのかな?
あれは今年の2月初旬。まだぎりぎり世の中が普通に回っていた頃、私は横浜への日帰り出張帰りの新幹線で、ある衝撃的な報せに接します。
「○○君(←息子)がテレビにリモコンぶつけてテレビが映らなくなりました」
絶句しましたね。
私がその昔、液晶は嫌という理由で手に入れたパナソニック最後のプラズマディスプレイTVが潰れたと。とりあえず、学資保険の解約の方法を考えつつ帰宅。テレビを見るとものの見事にヒビが入り、うんともすんとも言いません。仕方ないので、新テレビの物色しつつ、万一の修理の可能性に賭けてメンテの段取りを考えていた所に、ふと、一つの天啓が閃きます。
…もしかして家財保険でいけるんじゃね?
というわけで翌日、保険屋に電話すると、なんとホントに保証されるとのこと。思わず二度聞きしましたね。うちの馬鹿息子が馬鹿なことをして馬鹿な結果になったのに、過失割合10:0の重過失なのにほんとに保証されるのかと。
で、必要書類送ると同時に、私は近くのヤマダ電機に直行、パナソニックの有機EL55インチTVを、まぁ多少、足が出てもいいやと保険金額が算定されない内に即決。無事納材となりました。
…いつになったらオーディオの話になるのかって?すいません。ここからです。
さて4K放送もバッチリ映る、恐るべき超美麗な有機ELテレビを堪能し、ふとテレビ裏の入出力端子類を見るとそこには光デジタル出力がありました。これまで私は、Blu-rayレコーダーからアンバランスケーブル(要するにステレオAVケーブル)で、プリメインアンプに接続して音を出していた訳ですが、折角光デジタルがあるならと、Amazonで適当なデジタルケーブルを購入。テレビからの出力をLuxmanのD-05Uの光入力に入れて、モノは試しに、映画ボヘミアンラプソディを再生してみました。
……私はこの2年と少し、映画やその他映像コンテンツを、これ以上ない音響で視聴していると思い込んでましたが、それが全っっっくの誤り、壮絶な勘違いだったと思い知らされました。
ボヘミアンラプソディーのオープニングは、20世紀FOXのあのテーマを、ブライアン・メイがギターソロで奏でるのですが
もう全っく違う。何もかも違う。音の鮮明さが天と地ほど違う。プリメインの切り替え一つでこれまで通りのBlu-ray⇒プリメインの音と、テレビ⇒D-05U⇒プリメインを切り替えられますから、直接比較ができます。そりゃもう笑えるくらい別物。
以前、この連載(?)の中で、音の最上流(CDプレーヤー等)の重要性を話しましたが、まさかここまで圧倒的な差を生むとは思いませんでした。舐めてました。Luxmanの中の人ごめんなさい。
まぁそりゃそうですよね。Blu-rayレコーダーのオマケのようなDAC部と、エントリーグレードとは言え真っ当な単品SACDプレーヤーであるD-05UのDACの音が同じであるハズがない。
改めて音の最上流、というかDAC部が及ぼす巨大な音の差に打ちのめされると同時に、私の中に邪な考えが浮かびます
…エントリーグレードのD-05Uですらこの衝撃、況やハイエンド…
タイミングよく(悪く?)、LuxmanはD-10X、SoulnoteはS-3、EsotericはK-01XDなどなど各社ハイエンドSACDを刷新しました。
ええ。そうなると仕方ありません。そして、次の欲望が始まるわけですが、またしても長くなったのでまた今度。
ちなみに、保険金は、新テレビの購入金額を上回るという予想外の展開でした。保険屋さん有難うございます、申し訳ありません。
皆さん、家財保険に入るなら絶対、あいおいニッセイ同和損保ですよ!ぜひ加入を!(宣伝)
もう7月なんですねこんにちは。なんと今年も半分が終わりました。
うちの会社は緊急事態宣言解除後も、可能な限りテレワーク継続となりまして、私は勿論可能な限り家にいます。
わざわざ会社に行くのがめんどくさい。
当然のことながらコロナは今のところ終息せず、今日も東京が初の200人超えとか言ってますね。一般的な居酒屋はまだしも、ホストやキャバや風俗に、今この時期に行くってのはちょっと理解に苦しみます。控えめに言って頭おかしいとしか思えませんが、そういう人は一定数居るんですね。度し難いですが仕方ないです。
さてコロナといえば、山中教授がコロナポータルサイトを立ち上げてくださった当初から、私は同サイトをほぼ毎日見てますが、お陰で、免疫関連の知識がかなり増えました。でもどれだけ知識を増やしても
結局、究極の対策は、人ごみには近寄らず、栄養をしっかり取って、しっかり寝る。という当たり前の結論になるのがなんともはや。
まぁウィルス性感冒の一種ですから、当然そうなりますよね。
というコロナ話ばかりだと面白くないので、話題を変えます。
以前、最後の買い物として時計が欲しいという話をしました。色々調べつくして最終的にパテックの5227かランゲのリヒャルトランゲが候補になりましたが…ただ…どうでしょう、この種の時計は一生モノ、いや下手したら孫の代まで受け継ぐことが出来るレベルの代物ですが、それにしても、流石に400万は高い。先が見えないこのご時世に時計に400万もぶっこむのは流石の私も腰が引けます。というわけで保留。
で、最近の物欲のトレンドは、久々にオーディオです。と言っても、アンプとスピーカーはこれ以上の物にするつもりはありません(まぁプリアンプ導入には若干興味ありますが…)。興味の対象は、音の最上流にあたるSACDプレーヤーです。現状LUXMANのD-05Uに、それほど大きな不満があるわけではありませんが、芥川チックに言えば
「ぼんやりとした不満」があるわけですよ。
というわけで久々にオーディオ話をしたいと思いますが、長くなるのでまた今度。
というものが発せられましたね、皆さんお元気ですかこんにちは。
うちの会社はそれを受けて強制テレワークとなり、以後ずっと昼ごはん以外は家に居ますが、元来引きこもり体質ですので私的には寧ろ極めて快適です。
でも、これって、いつまで続くのでしょう?
「コロナの終息まで」となると何時になるか分かったもんじゃありません。いくら都市封鎖して感染を減らしても、経済活動を再開したらその時点でまたぞろ感染爆発は起きます。イタチごっこ。
ウィルス自体をどうにかしないといけませんが、そもそもウィルス性感染症の特効薬なんかそう簡単には出来ませんし、ワクチンなら仮に出来たとしても、しっかり治験を行って更に数十億人分増産するのにどれだけ時間がかかるのか。そして何より接種はどうする?
史上空前の超大行列作るのが目に見えてます。コロナワクチン接種所で感染爆発とかギャグにもなりません。そんなこんなで注射打っても体内で抗体が出来上がるのに更にそこから数カ月です。もうぶっちゃけ無意味じゃね?
というわけでどう考えても、結局のところ、人類が集団免疫を獲得するしか道がないように思えます。
要するに大多数の人間が罹患するしかない。
皆が一気に罹るとどこかの国のようなことになりますから、医療の限界を超えない範囲で順々に罹るしかない。基礎疾患のある老人以外、全員で受け持つということになりますね。
これがオーベルシュタインなら逆にまずそこから罹患させて、後年の社会保障費を大幅に下げる策を推し進めるでしょうが、有難いことに日本は民主主義国家なのでそういう事はないでしょう。たぶん。
そんな開き直りにも似た考えですので、私は今までと特に何も変わらず、手洗いだけはしっかり行って、人ごみは避け、というかもともと人ごみ嫌いですからこれも変わらんか。
あとはいつ罹っても大丈夫なように栄養あるものをしっかり食べてしっかり寝るという日常です。超健康的。
…或いは、コロナはSARSと異なり殆どの人にとって無症状かただの風邪ですから、既にかなりの人間が罹患済み。という超楽観論も僅かながら有りうる?是非ともそうあってほしいですね。まぁ無いか、無いな。残念。
何にせよ長期戦。気長に構えるしかないですが、早晩経済が死にますね。寧ろ長期的にはこっちの方が大問題です。
ほんとにどうなるのかさっぱり分かりませんが、悩んでも仕方ありません。粛々と日々過ごすことにしましょう。それしかありませんね。
ではありませんが、もうそろそろ
「ただの風邪じゃね?」
って、声をあげるべきでは?
「年寄りが風邪拗らせて肺炎で死ぬ」
極々ありふれた死に方にしか思えません。
というわけで、手洗い以外は何も対策などせず
投信に資金をぶん投げるタイミングを今か今かと待ち構える毎日です。
年の瀬です。というかここ最近「年末感」がどんどん薄れていくような気がしません?歳の所為?いやそんな。
とりあえず昨日は大掃除して、年賀状書いて、年末年始用酒その他を買って、セルフで年末感を高めています。
ここの更新もその一環。さて、では今年を振り返ってどうだったか。
個人的には、やはり家(中古マンション)を買ってリフォームして引っ越したことがトピックでしょうか。人生を縛りつける鎖がまた一本新たに増えましたね。かなり太めのやつ。ローンの支払完了は74歳?んなアホな。死ぬまで働けとか、どんなブラック人生だ。
てか住宅ローンと言えば、リバースモーゲージってありますよね?あれ凄いシステムですよね。
ウン十年分の住宅ローン金利を既に支払わせた上で「見通しを貴方に」とかキレイごとを言って、不動産評価額のせいぜい半額ちょいを限度額に新たに貸し付けて、そこからも金利をふんだくり、最期には担保そのものを没収(しかも不動産の売却の手間は遺族持ち。売却不可の場合は遺族が負債を負う)
人生の全てを銀行に喰い物にされる悪魔的なシステムと言っても過言ではありません。こんなクソのような金融商品に頼らずに済むよう、自分のお金はちゃんとコントロールしないといけませんね。
…さて来年の目標は、社会人20周年を目の前にするわけですから、それに合わせ、そろそろ我が物欲「最後の一つ」を手にすべく、邁進したいと思います。
具体的に言うと時計ですね、機械式時計。大昔からここをご覧の皆様はご存知のように、私、時計も好きでして。今はクオーツのホイヤーと、古き良き時代のクロノスイスを使っていますが、私ももういい加減いい歳ですので
「終の時計」を手にしようと。
こういう振りをするからには、私がどの水準の時計を求めているか、大体皆様想像がつくかと思いますが、現在、諸々の知識と資料と実地確認を継続中ですので、詳しい話はまたいずれ。
…自分の金をコントロールする話はどこに?
まぁいいや。今年も私はこんな感じでした。来年もおそらくこんな感じでしょう。
では皆様、よいお年を。
取れたタイミングで「天気の子」を見て来ました。こんちは。
さて、可能な限りネタバレなしで行きたいと思いますが、結論から申しますと、私は新海誠を見直しました。こういう映画を、君の名は。の後で作ることが出来る。その筋金入りのキモオタ魂に感動しました。
「ポスト宮崎駿なんて興味ない。俺は俺だ」
「俺が作りたいのはこういう映画だ」と。
よく表現の世界において、どこまで「真摯」に作品作りに没入したかを示す、下品な例えとして「フルチンになる」という言い方がありますが、もうほんと、それはそれは見事なフルチンでした(褒め言葉)
これは新海誠の、この狂った世界に対する自分の姿勢を示した、極めて私的な、自分の為の映画です。
しかし、エンターテイメントとしてのギリギリの一線はしっかり守ってます。
こと分けても、雨の描写。都市の描写。空中での浮遊感などなど、アニメーションの水準が凄まじい。新海作品の背景描写の美しさはもはや伝統芸ですが、今回のそれには瞠目させられました。IMAXで見ましたが、ホントに自分が空の中に居るかのような錯覚に囚われそうになる、そのくらいのレベルです。
一方で、極めて冷徹に今の日本を描写しています。
主人公たちには主人公補正によるファンタジーの力がありますが、そんな力を持たない普通の、無力で無知な若年層であれば、極めて容易に都市の陥穽に落ち込んでいくであろうことが透けて見えます。共同体の規範から外れて生きることは、まず不可能であることが冷たく陰鬱に描かれる息苦しくも真っ当な世界。主人公は、家出の高揚感でそれを感じていませんが、この映画は単純なエンターテイメントでは決してありません。
そいういう真っ当ながら狂った世界を覆う「空気」に対して、主人公(=新海誠)は何を選択するのか。オチに対して賛否があるようですが、その議論はナンセンスです。
この物語は徹頭徹尾、新海誠の新海誠による新海誠の為の映画ですから、あのオチしか有り得ない。
さて、新海作品の世界は、基本繋がっています。
これから先、どうなるのか?この「東京」が、これからの新海作品の舞台になるのか?ああなってしまった東京で、果たして、どうやって孤独や すれ違いを描くのか。非常に興味深いですね。
ですが、不安はありません。新海誠は信じられる。これからも彼らしい作品を作ってくれると確信できます。
安心して気長に待つことにしましょう。
何れにせよ素晴らしい新海誠でした。本当に有難うございます。
知らない間に40歳を超えてしまいました。40て。
そりゃここ馬の餞も19年目に入るわけですよ。ただこの5,6年は酷い更新頻度ですので、継続性のあるブログと言い張るのは無理がありますが、それにしても19年目て。
さて、40歳を「不惑」と孔子さんは仰いますが、我が身を顧みてどうか。個人的にはさもありなんと思います。
そもそも40にもなって自分の生き方に迷ってたらそれはそれで大問題です。仕事もあれば家庭も子供も、或いは家のローンなども背負う訳ですから迷いたくても迷えない。まずはこの身に纏った諸々の責任を果たす義務が先立ちますので、迷ってる暇はない。
…若干、孔子さんの言う不惑と意味が違いますが、まぁ細かいことはいいでしょう。細かいことに心を惑わされることがなくなる…と良いように解釈しましょう。
迷う。良いことですね。昔私がまだ前の会社に居て、我が身の処し方について迷っていた時
「自分自身の福祉のみ考えればよい」と開き直った記憶がありますが、そもそも迷うとは、それだけ選択肢が豊富だということです。或いは迷うとは真剣に考えるということです。
最近、私が自己を顧みて危機感を持つのは、どうにも、真剣に考えるということが少ない。或いは新しい知識を求める事が、以前より減退してると強く感じる。まぁ歳を取ったと言い換えても良い。
というわけで、何か新しい物を…ということで、これまでずーっと興味はありましたが「顔が気に入らない」という反知性主義の極みのような理由で手に取らずにいた、佐藤優氏の著作群を手に取ってみました。
そしたらこれが無茶苦茶面白い。
もっと早くに読んでおくべきでしたね。まぁでもまだまだ遅くはありません。
というわけで、薄っぺらい不惑を捨て、もう一度迷ってみよう、そう決意する今日この頃です。
カリスマ創業者のボンクラ息子が、自ら招聘したプロ経営者を、気に入らないからと切り捨てたところ逆襲されて泥沼と化し、権謀術数の限りを尽くして勝負の株主総会に臨んだところ、海外の機関投資家は元より
まさかの国内投資家や銀行筋からも愛想尽かされて敗れ去る、という池井戸潤も真っ青なドラマが繰り広げられましたねこんちわ。
…とは言え、現今この会社の上層部はトステム系創業家の息がかかった連中が牛耳ってますから、これから瀬戸さんは相当ご苦労なさることになるでしょう。まぁ既によーーくご存知だと思いますが。
一方でこれまで虫の息だったINAX系がこれで完全に息を吹き返します。
またトステム出身でありながら、瀬戸さんに付いた吉田さんは、大博打に勝った事になります。
今後は旧INAX+旧トステム非潮田閥の時代となりそうです。まぁ非常に正しい結果ですね。社会的にどれほど騒がれようと結局のところ絶対に会社側提案が通ると思ってたのですが、どうも違ったようです。
「正しい結果が出る。」
こういう時代になったんですね。
コーポレートガバナンスと言う物の、大きな転換点になった事例として記憶されるのではないでしょうか。
…チクショウ。こんなのだったら1300円台の時に株買っときゃよかった。
その事実を知ってから、私の朝が始まりません。
佐藤弘樹氏、死去。
誰にでも「ルーティーン」と言う物があろうかと思います。私で言えば、朝、車を使って出社する際、必ずFM京都(α-station)を聞くというのがそれ。
思い起こせば新社会人だった頃、もう今から17年(!?)も昔になりますが、その時からずっと、関東に赴任していた4年間を除いた全ての期間、それが私のルーティーンでした。
朝のα-stationの番組。「α-morning kyoto」
それは京都人にとって、知らない者は居ない、不動の番組です。
そしてその番組でずっとDJを務められてきた佐藤さんが、先日亡くなられました。享年62。
ー5月22日より体調不良でお休みに入られ、その期間が長くなるにつれ、もしや重い病かと。思えば最近、明らかにいつもと様子が異なる様がスピーカー越しにも伺えた訳ですが、まさか、亡くなられるとは
全く想定外でした。
http://fm-kyoto.jp/information/info-75369/
公式リリースにあるとおり、本当に、最期の最期まで、マイクの前にいらっしゃった訳です。
…まだ信じられない。
朝、スピーカーから、あの低い声が響くことはもう二度と無い。その事実が、未だ認められません。
……いや、やっぱり有り得ない。これを書いていても、どうしても信じられない。信じたくもない。
残念、などという言葉では足りません。痛恨の極み。慙愧に堪えない。いや、それも違う。適当な言葉が、私の語彙の中にはありません。
有難うございましたとも、お疲れ様でしたとも、まだ言いたくない。言えば認める事になる。
やるせないです。本当に。朝が、始まりません。
というわけで、平成最後の夜、皆様いかがお過ごしでしょうかこんばんは。
私はと申しますと、3月末に新居(というか中古マンション)に引越ししたものの、未だにパンダ印の引越し段ボールが散乱する状況を改めるべく朝から片づけをしつつも、子供達に邪魔され遅々として進まず。
夕方「タイムリミット」が近づくので途中で切り上げ、新しい榊を購入すべく買い物に出向いたついでに立ち寄った酒屋にて「令和」と銘打った酔鯨を見つけ、バカバカしいと思いながらもついつい購入、その時を迎えました。
退位礼正殿の儀
テレビの前に正座するというのは生まれて初めての事ですが、しかし今上陛下の天皇陛下としての最後のお言葉を賜るにソファに寝転がったままなど流石に有り得ませんのでそのようにして拝聴した次第。
…なんと申しますか。こう、自然と目頭が熱くなりましたね。
「象徴」だと現行憲法では天皇陛下を定義しますが、今上陛下は「日本的美質」のあらゆる象徴、精髄であらせられる。最後の最後に改めて、そう感じた次第。感謝と共に、今後は何卒お心安らかにお過ごし頂くことを祈ってやみません。
新時代がどのような日本になるのか。
今上陛下の祈りを成就させる責任が、我々日本人一人一人にあろうかと思います。良い時代になるよう祈ると共に、努力して参りましょう。
というわけで、明日から令和を言祝ぐ怒涛の飲み会が続きますのでまずそれを頑張ってこなしたいと思います(全部台無し