1
今年二度目の新横浜は、またも雨だった。横浜での結婚式はそう言う巡り合わせなのかと思いながら、新幹線の改札から横浜線のホームに向かう。行きかう人の流れは大型連休さなかにも関わらずいつもの休日のそれと大差なく、相当の混雑を覚悟していた私には少し拍子抜けだった。
それはそうと…私は小首を傾げた。マスクをしている人が殆ど居ない。折りしも新型インフルエンザが世界的な広がりを見せる中、日本で最も感染リスクが高い関東の、しかも感染者騒動があったばかりの横浜であるにも関わらず。
これは、マスクの構造とウィルスのサイズとの絶望的な乖離を踏まえた上か、或いは帰国者達が撒き散らす危険は連休明けと読んでのことか、いやただ何も考えていないのか。
まぁ恐らくは楽観だろうと思いながら、ドアのガラスに映りこんだ、ある種気負いをもってこの地に赴いたマスク姿の自分を見た時、私は自分が関東から完全に離れた人間になっている事に改めて気付いた。
―私が横浜から離れたのは1年と少し前。
横浜西口にある前職住宅営業時代の職場には2年通った。横浜線もこれから乗る根岸線も、数えるのも馬鹿らしいほど乗ったし、目的の山手駅周辺には、私の契約者も居る。
ほんの少し前までの私の日常が、今の私にとっては、遠い。
桜木町、関内、石川町、多くの人が思い浮かべる「横浜」はしかし山手駅で少し顔色を変える。ごく普通の住宅街に、突然変わる。そう言えば、この駅の近くのあの契約者の住まいに招かれ食事をしたのも、今日のような雨の日だった。目に留まる風景の一つ一つに思い出が蘇る。どうにも感傷的になっている。
その理由は、行きの新幹線の中で読んでいたあの小説にあるのだが、まぁそれはいいだろう。
駅前の小さな停車場からタクシーに乗り、私は式場に向かった。
山手ロイストン教会は、港の見える丘公園や外国人墓地の近くにある教会だった。ホテルに併設されたありがちな簡易チャペルではなく、プロテスタント系のれっきとした教会だ。しかし「れっきとした教会」という表現は、恐らく世界で日本だけにしか通用しない概念だろう。

式までは少し時間があったが、私は入り口寄り新郎側の席に座わると、程なく彼のご両親から声を掛けられた。話をしながら気付いたが、ご両親に会うのは彼の家からF1鈴鹿グランプリに向かった時以来だから、かれこれ4年も昔になる。定型の祝辞と返礼の後、こう聞かれた。
「今日もお車でお越しに?」
「いえ、それも考えたのですが流石に新幹線で参りました」
私は一体どのようなイメージで記憶されているのだろう。
2
午前11時、式が始った。
パイプオルガンの奏楽が、新婦を迎える。
私は、キリスト教徒でない人間が教会で式を挙げることにどうにも違和感を持つタイプの人間だが、なるほど、純白のウェディングドレスに身を包み、ヴァージンロードを歩む新婦の姿を見ると彼女達がそれを望むのも分かる気がする。
この瞬間、間違いなく、彼女は全ての主役だ。
手を引く彼女の父親も、緊張と責任感と喜びが綯い交ぜになった表情で彼女を待つ新郎も、式を取り仕切る牧師も、鳴り響くパイプオルガンも、見守る私達参列者も、全ては彼女のための物だ。
賛美歌が歌われ、新約聖書からの引用が読み上げられ、牧師の説教が続く。
「キリストの愛」が主題のそれを聞きながら、果たして何故これほど愛の深いキリスト教を信奉する人間達が、絶え間なくこの世界に戦火を撒き散らすのかと、この場に全く不似合いで不吉でどうでもいいことが頭をよぎった。どうにも自分が嫌になるのはこういう時だ。このどうしようもない性格をどうにかできないだろうか。
しかし、結婚式という場には、在り来たりの表現になるが、愛と優しさが満ちている。
牧師に促されて式次第を進める新郎は、全ての新郎がそうであるように、その緊張ゆえか事前に打ち合わせたであろう手筈を全て忘れたかのようなぎこちない動作を繰り返し、それを見守る新婦は、全ての新婦がそうであるように、それを慈愛に満ちた表情で見守る。
愛とか幸せとか、目に見えない概念が、確実に視覚化した世界。なるほどそれは神聖と呼んで差し支えない。
結婚宣言が終わり、賛美歌が再度歌われ、式は幕を下ろそうとしている。
彼らを見送るためにパイプオルガンが奏楽を始めた。愛と幸せを具現化したような二人が式場を後にする。
ふと、吹き抜けの天井を振り仰いだら、そこに表しの「梁」があった。
あの梁は構造部材か、或いはただの化粧梁つまりイミテーションか。恐らく後者だ。
結論が出て我に返る。どうして私はこうなのだろうか。
3
教会の中庭で、フラワーシャワーを抜けた新郎新婦を取り囲み、写真撮影が開始された。
懸案の雨も彼らに配慮してか綺麗に止み、表情が幾分緩んだ新郎と終始笑顔の新婦が親戚縁者から祝福を浴びている。
個別の撮影が終わったあとは集合写真だ。これも定石どおり、カメラマンは巧みな話術で一同の自然な笑顔を引き出す。人間を被写体にしたカメラマンにとって何よりも必要な技術は恐らくそれだろう。そして彼はその意味で間違いなくプロだった。いい写真が撮れたのではないだろうか。
集合写真の後、新郎新婦を取り囲んでの個別撮影会が再開した。微笑ましい光景が続く。しかし私が目を奪われたのは、新郎新婦を乗せるため車止めに現れた一台の車だった。

ロールスロイス・コーニッシュ・コンバーチブル。見事な漆黒のそれが静かにアイドリングしている。
私は車に近づいた。コーニッシュ3。つまり90年か91年のプロダクトだ。90年代のロールスは所謂SZ系と呼ばれる角張ったデザインだが、4座2ドアのコーニッシュは、その前身、シルバーシャドウをベースにしている。古き良き時代の本物のロールスロイス。シャドウは1967年デビューだ。コーニッシュはその時代から基本設計を引き継いでいる。風格と気品と威厳は他の何者も寄せ付けないが、その維持は並大抵ではない。
運転席のシートは流石にくたびれていた。20年使えば繊細なコノリーレザーはこうなるだろう。しかしタイヤはAVON製だった。どうやらディーラーであるコーンズで念入りに手入れをしているらしい。
その証拠に、コーニッシュの肝、交換となれば100万円ではとてもきかない幌は見事に稼動して新郎新婦を迎え入れた。
しっかりと手入れされ、幸せを後部座席に乗せて走るコーニッシュは、世界でも指折りの幸せな車だろう。
4
コーニッシュを、いや、新郎新婦を見送ったあと、私達は教会奥の披露宴会場に案内された。
山手241番館と呼ばれるその建物は、イギリス人が居住した邸宅を再利用してパーティー会場とした物だった。

私はアンティーク家具は門外漢だが、並べられた調度品が相応の品であることは、それ自らが主張していた。
料理はコースではなく、ビュッフェスタイル。最近の結婚式はこの形式が多い。しかしひとつ異なっていたのはその料理が、横浜では名の知られたレストランのシェフの手によるということだ。
「ふらんす懐石修廣樹」
予約を取ることすら困難と言われる名店らしい。
お色直しを終えた新婦を新郎がエスコートし会場に現れた。
新郎のスピーチによると「今日は私達が皆様をもてなすスタイルで」とのこと。新郎新婦が飾り物のように高砂から動かないオーセンティックな結婚披露宴は最近少ない。どちらの形式が良いかという議論は兎も角、私はその料理とモエ・エ・シャンドンに舌鼓を打った。F1グランプリのシャンパンファイトに使われるシャンドンを選んだのは彼の計らいか、或いはただの偶然か。何れにせよ質の高い料理は純粋に幸福を呼ぶ。
披露宴の座席に指定は無かったが、私は、大学卒業後疎遠となっていた友人と席を共にした。もう7年も経つという事実が信じがたいが、お互いの近況を話いていると、否応無くそれを実感した。
いつの間に、そんなに歳を重ねたのか。そう言えば、もう何人の結婚式に呼ばれた事だろう。
視線を、よく手入れをされた英国風の庭に移すとそこには無邪気に遊ぶ参列者の子供達が居る。純粋に可愛いと思える自分は、つまりそれだけ歳を取ったのだろう。
披露宴も終盤になり、通例に従って新郎新婦から両家のご両親への花束贈呈、手紙の朗読が始った。
新婦からその両親への手紙は、父親への感謝に始まり母親への言葉に遷るとその途端に涙で声を詰らせるというスタイルが多い。父親の悲哀を感させる瞬間だが、今日のそれは違っていた。
ご両親への感謝の深さに差異がなかった素晴らしい例外が目の前にある。
ただ何れにせよ、最愛の娘を送り出す父親の姿は、どんな結婚式でも同じだ。それまでの30年近い月日で積み重ねてきた全ての想いを溶かし込んだ、とても言葉では表現が適わない、あの表情。
もしも、自分が結婚し子供を授かったとして、女の子は欲しくないと思うのはこの時を置いて他にない。
それに比べると、新郎のスピーチは通常、感動的と呼ばれる物ではあまりない。定型どおりに過不足なく社会通念上正しく実施されればそれでいい。
しかしここでも例外が起こった。
スピーチの内容それ自体は、何ら奇を衒ったわけでもないごく一般的な物だった。緊張のあまり手紙を開く手が振るえ、声の調子も上ずっている。お世辞にも格好のよいものではない。
しかし、その言葉は間違いなく生きていた。誠実で、嘘が無く、真実を語っていた。
読み上げる本人だけでなく、聞いている私も、自然と少し目頭が熱くなる。
決意や意志と言ったものが、聞く者に自然と伝わる、素晴らしいスピーチだった。
もし私がその場に立った時、そういうスピーチが出来るだろうか。
恐らく、私は、平均的なそれよりもソツの無い、それなりの話をするだろう。何の根拠も無いがそう自分で確信する。
しかし、それが人の心を打つだろうか。それは全く自信が無い。
5
宴は終わった。
ご両親に挨拶し、新郎新婦から引き出物を頂戴し、鈴鹿での再会を確認して私は式場を後にした。
席を共にした友人と、元町まで歩き、適当なカフェに入る。
礼服のネクタイを外し、式場で出されたそれより幾分か味の落ちるコーヒーを飲みながら、実に他愛の無い話をした。この種の話が出来る相手というのは、どう言う訳だろう、不思議なことに学生時代の友人たちだけだ。
大学の友人と会えば大学の。高校であれば高校の。中学であれば中学の。その時間に戻れる。
しかし、帰らなければならない時間が、否応無く迫る。私の今の拠点はここではない。当たり前のことだ。
「また今度会おう」
お互いに約束しあい、私は店を出た。
元町と言うより、みなとみらい線沿線は、横浜でも独特だ。この町の人々は、横浜駅周辺とは少し違う。直結するのが東急東横線だからか、町の雰囲気が垢抜けている。
世間一般の「横浜」のイメージは、この街のそれだ。
元町中華街からみなとみらい線に乗る。この路線を真似た地下鉄が、果たして全国にどれだけあるだろう。
そしてそのどれもそれを超えられない。
程なく横浜に着いた。みなとみらい線から市営地下鉄への乗り換えは、横浜駅の改修工事のお陰で随分楽になった。真新しい地下道を抜け、突然見慣れたクインズスクエアに出くわしたのには少し驚いた。
その横浜市営地下鉄も、呼び名を「ブルーライン」に変えている。
あざみ野行きの最後尾に乗り込む。新横浜で新幹線に乗り換えるなら最後尾。豆知識程度に覚えておいて損は無い。
変化と言えば新横浜駅も著しい。地下鉄から新幹線への乗り継ぎに信じられないほど遠回りをさせられた時期もあったが、粗方の完成を見た今では、ごくスムーズだ。
―ほんの1年と少しの時間が、しかし、この街では限りなく大きい。
新幹線の改札を潜り、ホームに上がった。指定席券が告げるのぞみ号の到着まで5分。土産を買う時間も無い。少し慌しい予定を組みすぎた。ホームを見渡すとそこにはこの連休をこちらで過ごし、各々の住まいに戻る人で溢れている。
そう言えば、私もマスクをするのを忘れていた。
6
定刻どおりに新幹線はホームに滑り込んだ。適度に込み合う車内で私は席に着く。
荷物を置き、私は鞄の中から、読みかけの一冊の本を取り出した。
「秒速5センチメートル」
同名映画のノベライズ版だ。今から2年前に公開されたそのアニメーション映画は、当時静かなブームを起こした作品だった。
それは3つのショートストーリーから成り立っている。
「桜花抄」
東京に住む小学校6年の主人公たち二人、遠野貴樹と篠原明里は、互いに惹かれ合っていたが、小学校卒業と同時に明里の親の転勤により引き離されてしまう。その後二人は文通を重ね、想いは確固とした物に育っていった。しかし今度は貴樹が、これも親の転勤により東京を離れることになる。
あろうことか、転勤先は種子島。
中学生である彼らにとって、それはもう絶望的な距離だ。引越しを間近にした貴樹は明里の住む栃木まで、想いと決意をしたためた手紙を手に、会いに行くことを約束する。
しかし、約束の日、季節外れの大雪で、関東のダイヤは無残にも崩れ去る。約束より4時間も遅れて駅に降り立った貴樹は、そこで待ち続けていた明里の姿を見つける。
「コスモナウト」
種子島に住む高校3年の澄田花苗は、中学時代に転校してきた遠野貴樹に恋をしていたが、何時まで経っても思いを告げることが出来ない。
趣味のサーフィンも全く波に乗れず、進路希望も定まらず、何もかもが上手くいかない。ある日の帰り、丘の上に佇む貴樹の姿を見つけた澄田は、彼と話す中で、彼が東京の大学に進む決意である事を知る。
時間が無い。彼女はスランプだったサーフィンで波に乗れたら、貴樹に告白することを決める。
夏が過ぎ、台風の季節となった頃、ついにその日が訪れた。
思いを告げようとする澄田。しかし、貴樹の目にあるのは、それを言わせまいとする強い拒絶だった。
「秒速5センチメートル」
SEとして働いていた遠野貴樹は、漠然とした虚無感に常に苛まれていた。3年付き合った水野理紗から「1000回メールしても、心は1センチくらいしか近づけなかった」と別れを告げられる。
自分を追い込むだけの仕事、空回りするだけのプライベート。限界を感じた貴樹は退職する。
彼の中には、まだあの中学の雪の日の記憶があった。
その後、フリーのプログラマとして再び歩み始めた貴樹は、ある日小田急線の踏み切りで、あの少女の面影がある女性とすれ違う。互いに振り返る貴樹と女性、しかし通過列車が視界を遮る。
貴樹は思う。この電車が通り過ぎたら、前に進もうと。
―世の中には、女性に支持されても男性にはその良さが全く理解できない映画や小説は数多くあるが、この「秒速5センチメートル」はその逆を行く稀有な物語だ。
男性からは多くの支持を得るこの作品だが、恐らく多くの女性はこの作品、と言うより、主人公遠野貴樹に何も共感できないに違いない。
かく言う私自身、何時までも過去に囚われるこの男を、正直全く好きではない。
ただ、この映画は、緻密な風景描写や、文句無く美しい自然の姿や、何より登場人物たちの心の機微を繊細に、余すことなく、見事に描き出している。私にとってこの作品への評価はそういう所にあったのだが、インターネット上で偶然、小説の存在を知った。
どうやら小説と映画は相互補完的に存在するらしく、映画を見た人は、絶対に小説も読んで欲しいと、インターネット上の名も知れぬ誰かが熱心に語っていた。
私は先日Amazonでその小説を手に入れ、この機会に読もうと思った。関東が舞台の作品なら関東の匂いのする所で読むのがいい。
行きの新幹線は早朝だったこともあり、旅程の大半を寝て過ごしてしまいあまり読めなかった。ただ、目次を見ると、映画版では殆どテーマソングのイメージビデオのような印象だった最終話「秒速5センチメートル」に最も多くのページが割かれている。「相互補完」との評はどうやら間違っていないようだった。
実際に読んだ最終話は、映画とは全く印象を異とした。
余りにも断片的で抽象的に描かれた映画とは違い丁寧に、慎重に、小説は貴樹の心の機微を文章化している。
彼は、単に過去に縛られていたのではない。相手の気持ちや、それどころか自分自身の気持ちすら汲み取ることが出来ず、それ故、相手も自分も傷つけてきた、そういう姿が描かれていた。それは何も恋人との事ではなく仕事に関しても同様だった。
究極的に、この作品が描くのは、孤独だ。
映画でも、小説でも、描かれているのはそれだ。関東は、いや特に東京は、孤独という言葉が良く似合う。私が東京で最も好きな場所は西新宿だが、孤独という概念が最も似合うのも、間違いなく西新宿だろう。
奇しくも、この作品で、遠野貴樹が繰り返し西新宿について言及する。
私は、遠野貴樹のように、奇跡のような初恋をしたことも、絶えず女性に言い寄られることもないが、ただ一点、彼とよく似た所があるとすれば、それは、他人から見れば何一つ問題の無い幸せな生活を送っているかのように見えて、当の本人は全くそうは思っていない、と言う致命的なギャップだ。
或いはそれを孤独と呼ぶのだろうか。
いずれにしても―
―私は、読み終えた本を閉じ、時速270キロメートルで過ぎ去る雨に濡れた夕暮れの街を眺めた。名古屋を過ぎて岐阜羽島を越えた辺りだろうか。米原はもうすぐだ。
――いずれにしても、結婚式の帰りに読むには余りにも間違った選択だった。
自嘲気味に小さく笑い、山崎まさよしのあの歌が流れる携帯音楽プレーヤーの電源を切ると、車内は旅行帰りの家族連れの幸せそうな喧騒に満ちていた。