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M型ライカとポルシェ911の相似性

もうタイトルからして絶望的なまでに一般人を無視した代物ですがどうしたものでしょうか。まぁ続けましょう。
先日の、何故M型ライカが私の心を掴むのか?という問いの答えが正にそれなわけですが、では具体的にどう似ているのか。

まずライカの略歴から。
そもそも、手に取って簡便に撮影ができる、我々が想起する所謂「カメラ」の基礎を築いたのがライツ社製のカメラ、即ち「ライカ」でした。
それまでの巨大だった撮影機材から、映画用の35mmフィルムを転用し、ピント合わせに距離計(レンジファインダー)を搭載した小型なカメラを実用レベルにまで昇華させたのが、オスカー・バルナックという天才技術者です。第一次大戦より前のお話。
バルナックが基礎を築いたカメラ、俗に言う「バルナック・ライカ」は改良を重ね、その圧倒的な性能と先進性で世界を席巻します。
例えばキヤノンもニコンもそれをパクったカメラ、コピーライカを作りました。戦前から、ライカは世界中のカメラの指標だったわけです。
このようにライカは卓越した技術と不動の名声を有したわけですが、しかし、バルナック・ライカはまだ完璧なカメラではありませんでした。色々な問題を抱えていたわけです。それら問題点の説明をしていくとマニアックになりますので一旦おきまして。
終戦より約10年経った、1954年。
ライツ社は、新型のカメラを発表します。

アップロードファイル 667-1.jpg
「M3」

と呼ばれるそのカメラは、それまでのバルナック・ライカが抱えていた(或いはコピーライカたる世界中のカメラが抱えていた)あらゆる問題を、全て、完璧に解決した圧倒的な、奇跡のようなカメラでした。
その余りの完成度の高さゆえ世界中のカメラメーカーは、もはやコピーを作ることすら諦める。それほどのレベルだったわけです。
ライカはM3によって頂点を極めたわけですが、しかしこれが悲劇につながります。
ライカと同じ道を進むことを諦めた世界中のカメラメーカーは、もう一つの進化の道に賭けることにしました。ライカが極めた「レンジファインダー式カメラ」ではない、もう一つの可能性「一眼レフカメラ」です。当時問題だらけだった一眼レフの開発に、全てのカメラメーカーが参集し、一気にその開発を進めていきます。
一方ライカは、頂点を極めてしまったがために、その後の展開に行き詰ります。廉価版のM2、M1、後継機のM4、更に時代は下って1971年のM5。この年代になると、カメラに様々な電子制御技術が盛り込まれ始めます。
そうなると俄然強いのが日本です。ニコン、キヤノンが熟成と先進性と低価格とを兼ね備えた一眼レフを引っさげ、世界を席巻し始めます。
その一方、大量生産化と低コスト化など全く図れず、近距離や望遠域の撮影に致命的な欠点を持ち、ようやく露出計を内蔵できた程度のレンジファインダー型カメラ、M型ライカは、もはやカメラ世界の本流から、完全に逸脱し立ち遅れた存在になります。
勿論、ライカも「一眼レフ」を開発しなかった訳ではありません。
1964年以降「ライカフレックス」の名で作り出した「R型」と呼ばれる一眼レフシリーズを生み出しますが、世界はライカに、一眼レフなど望みません。
数多くの巨匠と呼ばれるカメラマン達が、M型ライカで撮影された写真の数々が、それに付随する数多の伝説が、いつしか神話となり、またブランドとなり、結果呪縛となっていきます。
ライカは「レンジファインダー」であること、そして「M3のデザインから外れないカタチ」であること。
この制約が、ライカを縛り続けることになります。
1974年には、経営が行き詰りライツ社の株は創業者ライツ一族の手を離れ、1984年のM6、2002年のM7でフィルムカメラのM型ライカは終焉を迎えます。
しかし現在、2006年のM8で遂にデジタルカメラに移行したのち、ライカは、むしろその呪縛を正の側面「ブランド」として利用喧伝し、M型ライカの「カタチ」と、唯一無二の「レンジファインダー」、そして何より営々と積み重ねた「ライカ神話」を最大の武器にして2009年のM9、そして今年2013年「ライカM」と成功に結び付けていくわけです。

…さて、このように、ごくごく簡単にライカの歴史をほんの少しだけ紐解くと、如何でしょう。

もう誰の目にも(?)明らかですが、この推移は、驚くほどにポルシェ911のそれと酷似します。

傑出した天才技術者によって生み出された画期的なスポーツーカーポルシェ356。更にその356を超越した当時としては奇跡のような車911。レースシーンでの数多の伝説、神話化された常勝のストーリー。
RRという致命的な欠陥レイアウトを、誕生当時からすでに古臭かった空冷エンジンを、ただひたすら磨き上げて高め続け、いつしか他の何人も到達しえない前人未到の境地にまで辿り着く。
しかし時代の趨勢には勝てず経営は躓き、FRへの転身もままならず全てを失いかけるも、それまで培った「ブランド」を、半ば狡猾に利用し、変質しつつもこの21世紀の現代に至ってなお世界最高で有り続ける―

フィルム時代のM型ライカと、空冷911
デジタルM型ライカと、水冷911

同じドイツという国だからでしょうか。
ライカというカメラを知れば知るほど、私はポルシェとの相関性を強く感じます。

そして、空冷原理主義者にしてRR過激派の私としては、デジタルライカではなく、フィルムのM型。それも、電子制御もコスト管理も、そんな一切の不純物を持たない、純粋な理想を形とした初期のプロダクツ
「M3」
さらにその中でも所謂最初期型70万番代。

私の心を掴んで離さないのは、これ以外に有りませんし、有り得ない。そういう次第です。

子供の話も

今後はしていくと言った舌の根も乾かぬうちに、またもカメラの話で申し訳ありません。
さて、最近。写真を撮っていて、疑問を感じることが多くなりました。
というのも、この写真は、果たして、誰が撮ったものなのでしょうか?
いや、別に哲学的な問答などでは全くありません。
私が今使っているカメラは、CanonのEOS 5D mark3という、プロも普通に使う素晴らしい性能のカメラです。レンズもそりゃ素晴らしい性能のレンズです。
このカメラはどんな悪条件だろうと意に介しません。一昔前ならNHKが本気出して挑むドキュメンタリーで使うような超高感度域だろうと完璧に、且つ余裕でフォローします。
また、撮影対象がどれだけ予測不能な動きで動き回ろうと、最上位機種譲りのオートフォーカスはその動きを追い続け見るに堪えないレベルのピンボケなんてのはまず発生しません。
また、例えばEF70-200mmF2.8L2の手振れ補正は、まるで見えない三脚かと思うくらい効きます。
5D3の超高感度耐性と鬼のようなAF性能と、Lレンズの手振れ補正を利用すれば、一昔前なら世界最高の技術を持ったプロカメラマンでも諦めるような暗所での撮影だとしても、それが余裕で可能となってしまいます。
私がやることと言えば、カメラを構え、構図を決め、ノイズが出ない程度にISO感度の上限だけ決めて、ピントはAFに任せ、露出もAEに任せ、気分次第でホワイトバランスと露出補正を適当に入れ、適当にシャッターを切る。
その程度です。
そんなカメラ任せ、レンズ任せの写真は、果たして、本当に私が撮ったと言えるのか??
私には、決定的に、写真に関する知識と何より腕が不足している。
そう思えてなりません。
ちゃんと写真を撮るには、まず知識を得て、一切の電子制御をキャンセルし、すべて自分の判断のもとで、自分の操作でカメラに向かわないといけない。基本を身に着けることなく、ただ安直に最新デジタルカメラに触れていると、私はカメラの本質を全く理解できないままでいることになる。そういう思いが募る一方です。
であれば、どうするか。
一番簡単なのは、AV(絞り優先AE=絞り値だけは任意で設定。シャッタースピードはカメラ任せ)でばかり撮っているのを改め、マニュアルで撮るというのが近道ですが、残念ながら、私は楽なものがあるとついついそれを選んでしまうダメ人間ですので、これは余り実用的ではありません。
また、そもそも、今のデジタルカメラのSDカード容量は16GBとか32GBが当たり前です。
それは要するに電池が切れるまで殆ど無限に撮れると思って間違いありません。これがよくない。とにかく1枚にかける意識が軽くなる。どうしてもそこが決定的な問題です。それを打開するには?

銀塩。フィルムカメラに行くしかありません。

更に、一切の電子制御が入らない完璧な機械式カメラ。

これらの条件を踏まえ、私の思考と志向と嗜好に合致するカメラは?

初期のM型のライカ。

最近、私の心を掴んで離さないのは、うちの赤子を除けば、まさしくそれなんです。
では何故、M型ライカが私の心を掴んだのか。

長くなりますので、続きはまた今度。

完全に

失念していましたが、先だっての3月19日で、ここ馬の餞は、えーっと何年だ。2001年からですから、まる12年を経過し13年目に突入しました。
いくらなんでも有り得ない長さですね。
しかし最近は月刊馬の餞が定着してきてますから偉そうなことは何も言えませんし、ここ一年はカメラの話しかしてません。まぁこの種のネタの著しい偏りは今に始まったことではなく、この12年のどの時期を振り返っても、一般受けする話は一切書いてきませんでしたから、本質的には何も変わらないとも言う。
さてそう言えば、ちょうど去年の創立記念日(?)の際に初めてその存在を明らかにした私の赤子も早いものでもう生後7ヶ月になりました。
寝返りが楽しいらしく、くるくるまわって遊んでます。
さてそんな赤子のために、チャイルドシートを購入しました。もちろん、レカロです。と言っても残念ながらレカロ内製ではなく、コンビのOEMです。本当であれば真レカロシートが欲しかったのですが何せデカい。カレラ号のもとからチャイルドシートのような極小後部座席の座面に対しては全く寸法が納まらないわけで、仕方なく、コンパクト設計のタイプにした次第。
しかし、乳幼児の時期から、空冷ポルシェにレカロのチャイルドシートで乗る赤子ってのはどうなんでしょう。
余り類例がないケースだと思われます。こいつがどんなダメ人間に育つか。非常に興味深いですね。
私はカレラ号を手放す気は毛頭ありませんので、いつかこの子がこの車に乗ってくれると嬉しいのですが。どうだろう、最短でもあと18年。カレラ号は38年落ちのクラシックカーですかそうですか。さすがに厳しそうですね。
…何と申しますか。
今まで、人生を好き勝手に生きてきた私ですが、やはり人の子の親になると、諸々の基準が少しずつ子供にシフトしてきました。
これまで、あえて子供の話題に触れないで来ましたが、今後はそういう話しも若干ながら織り交ぜて行きたいと思います。
何はともあれ13年目。今年もみなさん、よろしくお願いします。