よく地下道を歩く大量のサラリーマン達の映像が象徴的に流れたりしますが
あの地下道が何処にあるかというと、新宿西口にあります。新宿駅から都庁に向う道。
私も毎日通ってますし、実際何度もその種の撮影に遭遇してます。
さて。「日本のビジネスシーン」を象徴する映像として使われる新宿西口の地下道
ですが、あそこが夜になると、どーなるか。
…乞食で溢れます。
ダンボールを器用に加工してまるで棺桶のような寝床を作ってらっしゃいます。
場所は変わってJR大阪駅(各種私鉄では梅田駅)の駅前。大阪一の路線価を誇り
ヒルトンや、ヴィトンやらエルメスやらのブティックなどがある、その大通りには
「彼ら」の青いビニールシートが数多く見られます。
私は別に、あの人たちを擁護するつもりは、毛頭ありません。
あそこまで堕ちる前に、幾らでも何とかする機会があったはずで、結局それは本人の
責任だと思うからです。ですので、耐え難い悪臭を撒き散らす彼らに何の憐憫も
抱きませんし、冬場毎日のように、凍死した彼らを搬送する救急車が西口交番の前
に停まっていても何の感慨も沸きません。
しかし、ある意味において日本を代表する場所に、あーゆー人達がたむろし、スラムを
形成し更にそれを事実上放置しているという現実は、様々な事を考えさせられます。
何故、こういう状況を放置できるのでしょうか。都や国が何とかしないからですが
では役所がそれを放置することを、同様に放置する我々は何なのか。
それは我々が「無関心」だからだと思います。
彼らは我々の住む世界の「外」に属する人たちで、そういう人たちに対し、我々は
基本的に無関心だからです。
何故、無関心でいられるのか。それは道が浮浪者で溢れようが、臭いだけで他に
害がないからです。
即ち、彼らがどうなろうが、我々には文字通り、関係ないから、です。
私は別に、単に無関心を批難しているわけではありません。彼らに関心を向けて何とか
しよう、と言っているわけでも、都や国がけしからんと言っているわけでもないです。
私が危機感を抱いているのは、将来のことです。
彼らを放置できるのは「害がないからだ」と書きました。確かに、彼らは今のところ
害はないです。
が、果たして将来はどうでしょうか。
「フリーター」という便利な言葉があります。
「ホームレス」と同様、横文字にすることで、本来の意味を曖昧にするわけですが
それはさておき。
フリーターの数は、数百万人に上るらしい、です。
フリーターやニートに関する議論はされていますが、とても真剣な物とは思えません。
何故ならば、彼らの存在は「今のところ」それほど大きな問題ではないですし、それ故
我々は、例によって無関心でいられるからです。
しかし、この状況は本当に恐ろしいことだと思います。
…無論、彼らの全てが悪いわけではありません。
何らかの目標があり、その準備期間としてフリーターをしている人、或いは、本人の
意思とは無関係に、そーゆー状況に甘んじざるを得ない人。私の友人にも結構居ますが
それぞれにそれぞれの事情があります。一概に、良い、悪いという区別で語ることは
できません。
が、しかし、確実に断言できることは、フリーターと呼ばれる人達は、致命的に
「不利」だということです。二十歳でフリーターの人間は、当然ですが10年たてば
30歳になります。フリーターで30歳になった人間を、果たして世界はどう評価
するでしょう。モラトリアムの時期を利用し、実益に繋がり且つ希少性のある資格を
取ったり、或いはデイトレードなどで莫大な資金を獲得したりしない限り、彼らは
確実に社会的経済的に底辺に追いやられることになります。
「格差社会」という言葉が使われるようになってまだ10年も経ちません。バブルの
崩壊、所謂「日本的」と呼ばれる諸々のシステムが破綻、崩壊し「格差」が露になった
わけですが、それでもまだ日本には「一億総中流」という幻想が残っています。
中流と思っているほぼ全ての人間が実は下流ですし、その幻想が、多くの人を
擬似的に救い、且つ、決定的な破綻を先延ばししているわけですが
それはさておき
今、数百万と呼ばれるフリーター達が、10年ほど経てば、上記したような例外を
除き、確実に「格差」を最も残酷な形で体現することになります。
私は別に格差社会をどーこー言っているわけではありません。
私が懸念するのは、数百万人の人間が、「自分が経済の底辺に属する」という事実を
認めざるを得ない状況になった時、果たして、どーゆー事が起こるか、という
恐怖に近い問いです。
税制、保険制度の破綻、経済活動の鈍化、更に、治安は絶望的に悪化するかもしれません。
いや「かもしれません」ではなく、ほぼ確実に、そうなるでしょう。
私が危機感を抱くのは、現状の問題の延長線にある、決定的な「崩壊」です。
そういった意味で、「無関心」に対しても危機感を覚えます。
破綻や、崩壊といった言葉がよく使われた「失われた10年」ですが
本当の意味での破綻や崩壊は、更に10年後に訪れるかもしれません。
ダンボールに包まり、死人のように眠る彼らを視野に収める時
私は自分が「その時」にどう生きるのか、ということを考えざるを得ません。