ネタがありますこんばんは。取り揃えているのは
・浅田真央NHK杯優勝
・0系新幹線引退
・新携帯購入
・宮崎あおいの神演技
・サンクトペテルブルクフィルの実演に接して
の5本です。ネタの鮮度的には浅田真央、0系。
大して面白くない話は新携帯。
いつでもいい話は、宮崎あおいとクラシック話。
…そうですね。やっぱり、今日で最後となる0系新幹線のお話にしましょうか。
新幹線。いつぞやもここで新幹線のネタに触れたことがありましたが、私は新幹線が好きです。
…まぁ嫌いって奴はいないでしょうけれどw
子供の頃の原体験というか、新幹線のスピードに度肝を抜かれた記憶が私の中には鮮明にあります。
幼稚園か小学校の低学年の頃、今でも覚えているあれは新横浜駅でした。
新幹線のスピードって実際にそれに乗っても、そんなに感じることはできませんよね。尋常でない速度だってことを実感するには、駆け抜ける新幹線を外から、それも間近で見るのが一番です。
しかし、私の地元京都駅ってのは、全ての新幹線が止まります。200kmで突っ走る姿を見ることは適いません。
従って、「その時」まで、私は新幹線の速さを正直よく知らなかったわけです。
そして、親戚の家に遊びに行くため降り立った新横浜。
当時、ひかり号は新横浜には止まらないわけで、全て通過です。
通過列車が迫るアナウンスを聞いた私は、近くで駆け抜ける新幹線を見てみようと、あのフェンスによじ登りw
「その時」を待ちました。遠くに見える新幹線の姿、それが一気に大きくなり、そして
私の目の前、ほんの1mちょっとを、200kmで、それは轟音と暴風と共に駆け抜けました。
驚いた。親に物凄い勢いで怒られましたが、そんなことは私の中でどうでもよく、ただただあのスピードにやられた。
かっこいい、と。
以来、新幹線は私にとってスピードの化身です。
それからと言うもの、親の車の横に乗って高速道路で新幹線と並走するたびに「追い抜け!」と嗾けたってのは以前も話しましたかそうですか。
今も勿論、新幹線との並走区間に入ったら、必ずアルピナ号は3速に入れて、新幹線を待ちます。
が、どういうわけか残念ながら新幹線とかち合ったことはありません。
残念極まりない。いつか絶対に勝ってやる。
…と、まぁ私のガキの頃の新幹線話は別にどうでもいいですが
0系新幹線が、今日で、その営業運転を終了しました。
1964年10月1日から、2008年11月30日まで。44年間。
凄いですよね。44年ですよ、44年。ほぼ半世紀です。
1964年がどういう時代か。
勿論、東京オリンピックってのが一番のトピックだと思います。
また、ポルシェ911が販売を開始したのも1964年ですが、しかし。私がここで例に出したいのは、アトムです。鉄腕アトム。
あの国産テレビアニメの嚆矢となった偉大な作品。
放送開始は1963年、ほぼ同時期です。
そしてアトムの舞台は、21世紀。因みにアトムの誕生日は2003年4月7日。
1960年代、アトムを見た世代にとっての「21世紀像」ってのは、アトムの世界だったんです。
アトムに燃えた世代にとって、新幹線は、それと似通った感情の昂ぶりを与えてくれた存在だったに違いありません。
夢の超特急とはよく言ったものです。
しかしその当時、目の前にある新幹線がアトムの生まれる21世紀まで走り続けるだなんて想像できたでしょうか。
恐らく、誰一人、そんなことは考えられなかったと思います。
2008年の今日、残念ながらアトムはまだ生まれていません。
しかし、21世紀も10年近く過ぎた今日この日まで、0系新幹線は、現役で走り抜けました。
凄いことです。凄まじいです。
基本設計の素晴らしさ、車体を作り上げた職人の腕、度重なる改良。
そしてそれを保守点検し続けてきた全ての人間の弛まぬ努力と献身。
かっこいいですよ。震えがくるほどかっこいい。
知っている人もいらっしゃると思いますが、東京駅のプラットホームからエスカレーターで降りた所に、こんな、小さなレリーフがあります。
東海道新幹線
この鉄道は日本国民の叡智
と努力によって完成された
叡智と努力。
新幹線はある意味、戦後日本の復興と成長のシンボルです。レリーフに刻まれた短く控えめながらも誇りに満ちたその言葉。44年前に刻まれたその言葉を今日まで体現し続けてきた0系新幹線。
本当にお疲れ様でしたと心から言いたい。
この精神がある限り、新幹線は世界最高の鉄道であり続けると思いますし、またそうあって欲しいです。
最後にもう一度。私は、新幹線が好きです。