ってありますよね。昨今では精神修養や精神的デトックス(?)的に活用されてますが、本来は、布教のため。時代が下ったあとはその宗教の奥義を会得するために行う修行、或いは供養のために行われるものです。
同じように写本というのも、グーテンベルクさんが頑張るまでは、例えば聖書やその他、膨大な労力を掛けてでも伝え広める価値と必要がある書物に対して行うものでした。
さて、私の家の近くの本屋に、どうにも目障りで仕方が無いものがありまして。レジ付近に置かれている「天声人語 書き写しノート」なる代物です。
もうね。
人様に、自分のところの社説を、金を払わせて、書き写させる。
心底気持ちが悪い。
普通の神経ではこんな厚顔無恥な行いは到底不可能ですね。
彼ら独特の、一般人を見下し自分達が啓発してやるという傲慢極まる意識と歪みきった使命感が透けて見えて仕方ありません。あの新聞社は報道機関ではなく政治結社ですが、もはやそれさえ越えて宗教団体と化してますね。
…と、上記は今から1年以上前に、書いたはいいけど面白いオチが思いつかず放置しておいた文章なのですが、さてここのところ、朝日がえらいことになってます。
慰安婦捏造と吉田調書捏造問題ですが。
そもそも普通の「捏造」ってのは、何か不祥事をやらかしてしまって、それを隠そう、或いは少しだけでもマシに見せかけようとして、行うものです。或いは虚栄心から、ありもしない成果を吹聴したり。
これらは決して褒められた行為ではありませんが、そういった心の動きは、まぁ理解できなくもありません。
一方で、朝日が繰り広げてきた、いや今も日常的に繰り返す諸々の行為は
「現実には起こらなかった蛮行愚行をでっち上げる」
というシロモノです。こういうのは普通、戦争相手の国を貶めるために行うプロパガンダに属するもので自国に対して行う類のものではありません。
朝日の歴史を振返れば、戦前は盛んに戦争を煽り、戦中は大本営発表を何の批判もなく拡大して垂れ流し、戦後はそれら行為を、彼らが好む言葉で言うところの「総括」することも無しに、それどころか被害者面して開き直り、その後は延々と進歩的知識階級(笑)として、自分達の思想に国民を洗脳しようと試み続けてきました。
しかし、今日、ついにその欺瞞と倣岸と妄執とがようやく満天下に晒される日を迎えたわけです。
私には、事ここに至ってもなお朝日新聞を購読する信者の皆さんと、広告費という名のお布施を続ける企業が信じられないのですが。まぁどんなカルトも、はまるより抜け出すほうが難しいですから朝日の呪縛が本当に解かれる日が来るのか、正直甚だ疑問です。
100年近く積み重ねてきた朝日の大罪を裁けるのか。それとも珊瑚の時のようにしばらくすれば風化するのか。
私には後者のように思えますが、そうならないことを切に願う次第です。