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たまに

というか、結構頻繁におこる、教鞭を取る公務員の方による性犯罪ですが
その種の報道がされるたびに疑問に思うことがあります。
それは、その事件の背景だとか、罪を犯した人間の人間性とかそーゆーこともさることながら、いつもよく分からないのは

「みだらな行為」「わいせつな行為」

って何だ?
ということです。
みだら。わいせつ。って具体的にどう違う?考えても分かりません。
調べてみました。

みだら 1 0 【▼淫ら/▼猥ら】
(名・形動)[文]ナリ
〔「乱れる」「乱り」と同源〕
(男女の関係が)性的に乱れていること。ふしだらである・こと(さま)。
「―な行為」「―な関係」

わいせつ 0 【▼猥▼褻】
(名・形動)[文]ナリ
(1)いやらしいこと。みだらなこと。また、そのさま。
「―な行為」
(2)〔法〕 いたずらに性欲を興奮・刺激させ、普通人の正常な羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反すること。また、そのようなさま。
「―な小説」「―な話」「―な絵」
[派生] ――さ(名)

三省堂提供「大辞林 第二版」

…えっと困りました。「わいせつ≒みだらな」らしいですね。
でも報道では使い分けがなされています。ので、そっちの区分を調べてみるとどうやら

「わいせつな行為」は性交渉を結ばなかった場合
「みだらな行為」は性交渉を結んだ場合

というどこでだれが決めたのか。不思議な暗黙の了解があるようです。

さて性犯罪の報道は大変難しいです。何故ならば報道すること自体が被害者を確実に傷つけますからね。所謂セカンドレイプです。しかし、報道されないわけにもいきません。
それゆえの、こういった曖昧な表現なのでしょうが。

ですが、しかし。あえて言いますが、被害者の保護が絶対の最優先ではありますが事実を誤認させるような報道は如何な物でしょうか。
例えば「暴行」と「強姦」、一般には違うように思えますがしかし報道では同義で使われます。ですが「暴行」だとまるで暴行罪(蹴る殴るとかね)のようで大変軽い印象を与えかねません。
これも恐らく被害者の人権保護でしょう。

また強姦でも「強姦」と「準強姦」があります。「準」という単語は、あたかも軽い印象を与えますがトンデモナイ。スーフリなんかがしたように酒やクスリなどで「抵抗できない状況」に陥れてから事に及ぶというなんつーかどちらにしても言語道断。最悪な話です。

さて何が言いたいか。
要するに、曖昧な表現は、真実を伝える事ができないどころか、かえって「軽い犯罪」かのようなトンデモナイ錯覚を与えてしまうということです。
日本語は直接的表現を避け、オブラートに包むような表現が大変多く、それが美徳でもあるわけですが、大体にして問題の本質を暈し、錯覚を与えかねません。
例えば「差別用語」なんかも全く同じですね。ボケを痴呆症にそして認知症へと呼び変えても、分裂病を統合失調症に呼び変えても、何一つ差別の根源は是正されません。

何を隠したいのか。とても不思議ですが、何故か、どーゆーわけか、ずっと日本人はこの調子です。国民性なんでしょうか。決定的なことが進行しているのに、誰も本質を見ない。とても恐ろしいことです。
マスメディアに改善を求めるのは望み薄も甚だしいので、じゃあどうするか。欺瞞や曖昧な事柄に対して、本質を知ろうとする努力が必要になります。その点、最近はネットのお陰で大変その辺が楽になりましたね。
ほんの少し昔まで、本質を知ろうとしても大変な苦労を伴ったのが、今や簡単に情報は手に入ります。適切な情報を取捨選択する情報リテラシーが個人に強く求められますが、真実を知ろうとする姿勢さえあればいくらでも知ることが出来る、という大変有り難い時代とも言えるでしょう。
逆もまた然りです。
どちらの側に立つかは己次第といったところでしょうか。

しかしまぁ騙されるのは心地よく
真実を知ってもどうにもならないことが圧倒的に多いわけで、その辺が微妙な無力感に繋がったりもしますね。ただしかし。一人ではどうにもならないことでも、多くの人間が本気になれば変わるのが世の中です。
ITはそういう意味において、力を発揮する事が出来るのか。
GoogleやWEB2.0の行く先に、そういう思想面での革新があってもいいのではないかなぁと思ったり思わなかったり。

別に宗教や電波系の話なんかではなく、日本の経済や財政やその他の社会保障制度の決定的な破綻。またはインターネットを媒介とする革命的な世界の変化は、今、この瞬間も確実に進んでいるわけですが
じゃあそれが目に見える物として表れた時に、自分がどうあればサバイバルできるのか、という恐怖に近い問いがあります。

危機感こそが想像力を喚起し、また質の高いモチベーションを生む。

と、どこかの小説でありましたが、今を生きる我々は、そういった問いを自らに課し、明確なビジョンを自らで定め、そしてそこに邁進する努力をしなければ、本当の意味での負け組に、底辺に追い込まれると強く認識する必要があるような気がします。
正しい事を知るというのはその大前提、その第一歩でしょう。
また変な宗教なんかは「正しく知る」ことの対極ですので要注意。

まぁしかし、しんどい時代ですね
でも目をつぶって流れに任せると「下流」に流れ着きますから、歯を食いしばって遡上しなければなりません。

…しかし鮭にしろ何にしろ、遡上が終わったあとには死ぬものでして。
何にせよ、無常な世の中ですね。