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勘違いした

個性の無規範な表出を戒める話として、故中村勘三郎が師匠筋に言われたという

「型を極めた人間がやるから『型破り』。そうでない者がやったら『カタ無し』だ」

という格言。流石、粋で洒脱な至言で、私はそういう場面に遭遇するといつも思い出す次第でありますが。
さて、この季節。車で日中走っていると、就活生たちが群れを成している光景によく出会います。私は昔から謎なんですが、何故、全員同じ形の同じ色のスーツに、同じ髪型なんでしょうか?それが無難という訳でしょうが、見る側からすると、全員が同じに見え全く印象に残りません。血で血を洗う就活中の彼らにとって、何も印象に残らないというのは致命的ではないでしょうか?非常識なかっこは論外にしろ、季節やその社風にあわせたコーディネートくらいはして良いような気がします。
私だって、その日のアポの相手にあわせてスーツ、シャツ、ネクタイ、靴は変えますからね。
ただ、真の個性とか独自性というモノは、例えそれを隠そうとしても、いやが上にも滲み出てしまう類のものですから、服装ごときで表層を取り繕ってもさして意味がなかったりもしますが。
何れにせよ。今の時代の大学生達は大変だなぁと、元祖氷河期世代のオッサンは車から眺めるわけです。

個性

難しいですよね。
私なんかは、自分自身を没個性で何の面白みもない人間と思ってますが、どういう訳か周囲からは非常に個性的だとよく言われます。また、ここで書く文章も、なるべく面白おかしく且つ伝わりやすくと心がけてますが、別段、個性的であるとは全く自認しておりません。しかし、読んでくださる方々からは個性的とか独特のとか評価(?)されます。
或いはここ数年の趣味である写真についても、自分の写真はどうにも一本調子で面白みに欠け何の個性も無くて納得いきません。しかし、他者から見るともしかすると個性的なのかもしれません。
やはり個性なるものは、無自覚であっても表れるものです。
ただ何れにせよ、己の個性を正確に把握ができれば、それを伸ばすなり活かすなりに結び付けられますから、人生において有利であることは疑いありません。目標を定めそれに向かうに必ず助けになるでしょう。
大学生の子供達にそれを求めるのは些か酷ではありますが、社会人となればそうあるべきですし、私も仕事においては自分の個性、特性を活かすように心がけてます。
仕事の話は置くにして、例えば写真について言うと、思わず息を飲むような、そんな写真が撮りたいです。そこまで行かなくとも、力のある写真、ですね。思わず見入るような。難しいです。そんなの今まで一枚も
撮れた例がありません。
仕事はもう10年以上やってますからそれはともかく、写真についてはまだほんの数年の超ド素人。下手なことをやっても、カタ無しになるのが見えてますから、まずはしっかり型に沿ってみたいと思います。
それでも恐らく無自覚に、個性なるものは表れるでしょうからね。