店に久々に行ったら味が落ちていた、なんてことは、残念ながらしばしば有ることでして
その度、極めてげんなりさせられますが、先日、私が愛して止まない(ここでも昔取り上げたことのある)
京都伊勢丹の11階にある湯葉とお豆腐のお店、松山閣に友人と行く機会が先日ありました。
同店に行くのが一年数ヶ月振りになることから、一抹の不安が頭の片隅にあったのですが
大変嬉しいことに、全く杞憂に過ぎませんでした。久々に本物の「京料理」を戴けまして大満足です。
ほんと世の中には星の数ほど所謂「京料理」がありますが、しかし「本物」は極めて少ないです。
更に東京あたりだと値段だけバカ高く、内容が全く伴わない紛い物が大半で
いつも苦々しい思いをしてきましたが、まぁそれも今ではいい思い出(?)
てか、口にした瞬間、言葉を失う味ってのにはそうそう出会えるものではありません。
例えばこれが品川のモツ料理であったり富士の鰻だったりしますと、その異常な美味さは往々にして素材の良さに起因します。
しかし京料理は違います。まぁ勿論吟味を重ねた素材なのは間違いないですが
ただの大根やただの粕汁が何故ここまで深遠さを感じさせるのか。
それはやはり職人の技なんですね。
京料理はもともと産地から離れた都にあって、どこまでダメ食材で最高の物を生み出せるか?ってところに神髄がある訳ですから、扱う職人の腕に大きく左右されるのは当然の帰結です。
半端な腕だと半端な物が生まれ、本物が作れば本物が生まれると。
騙しがきかない分、極めてシビアな世界ですね。
…まぁいいや。んなご託はどうでもいいです。
皆さん、京都にお越しの際は是非にJR伊勢丹11階の松山閣にどうぞ。
東京なら数万払ってもありつけないかもしれない「本物」をたかだか五千円弱で味わえます。
ーさてしかし食べながら友人(女)に、いま付き合ってる彼氏と
私が似てる旨力説された次第ですが、なるほどそんだけ似てても
「私ではなかった」という辺りに私のダメな原因があるのかも知れません。
なるほど、これは大変示唆に富みます。今年の脱ダメ人生に向けて大きな収穫ですねw