人事部より通達
辞令は10月3日15時以降
とのお話。もうホント、一事が万事です。
canonの日常…?
の秋ですこんにちは。
というわけで、私は最早年中行事と化している銀英伝の読み返しをやってまして今、7巻です。これから美容と健康の為にイゼルローン奪還。ビバ!ミラクル・ヤン!!
てか、私はフレデリカにネオ・フリープラネッツを組織してもらってイゼルローンを移動要塞に改造してフェザーン圏に殴り込みをかけて欲しいと常々思うのですがもう黙れ。
ま、銀英伝は置くとしてですね。
私は読書っていうのが、好きでもあり嫌いでもあります。
というのも、私は、何か物事を考える時、あくまでも自分で思索を重ねて結論に至りたいという性向がありますので、本を読んでしまうとあたかもクリア前のRPGの攻略本を読むようなものでして、何だか不愉快なわけです。
しかも往々にして、自分の考える道筋と大きく外れることは書かれていなかったりするもんだから尚のことムカつきますね。
こんなんで金になるのかと(ぉ
さてさて、読書をするということは知識を増やし、物の見方の幅も広げると言われますが、私は、前者はともかく後者には懐疑的です。
というのも、そもそも本を買う時の事を思い浮かべてください。(アマゾン等を除けば)まず、本屋に行きますね。で、棚に並んだ本を眺める。そして興味を惹かれた物を手にとります。で、パラパラと斜め読みしてみる。頷く。一回本棚に返す。他に興味をそそられる本を探して手にとる、斜め読み、本棚に返す。……といったことを何度か繰り返して、そしてようやく一冊を選んで買う。というのが、まぁ一般的だと思います。
さて、この「一般的な」本の買い方。
当然ながら、興味を惹かれるのは自分ですし、中を軽く読んで内容を把握するのも自分ですし、その内容に対して払う金額が妥当かどうかを判断し、購入の決断を下すのも、勿論自分です。
つまり要するにこういった「当たり前の」購入プロセスを踏む限り、基本的にその本が自分の価値観にある程度準拠する物でないと、購入にまで至らないと言って差し支えないでしょう。
例えば、右寄りの人間が左な思想の本は読みませんよね。
自己啓発なんかペテンだと思ってる人間は、その種の本は手に取りもしないでしょう。
どこまで行っても読書とは、その原初の選別段階で、その人の価値観に左右されるわけですからどれだけ数多くの本を読もうとも、それは全部、自分の趣味嗜好性向その他諸々に合致した物であるわけです。
ですから「深さ」は深まっても、「幅」に関しては疑問符を付けざるを得ません。
冒頭で私は「往々にして、自分の考える道筋と大きく外れることは書かれていない」と記しましたが、それもある意味、当たり前なことと言えるでしょう。
というわけで、読書にはそもそもバイアスがあるという事に気がつかないと
自分の物の見方の幅という物を過信する危険があります。しかも読書をすればするほど知識は増えますから、理論武装だけはできるわけですね。
所謂「読書家」と呼ばれる人たちに、偏屈で頑固なバカタレちゃんが多い原因は、恐らくこの辺りにあるんじゃないでしょうか。
じゃあそーゆーバカタレにならないためにはどうするか。
普段、選ばない本を読んでみるのが、いいかもしれません。
「こんなもん」と思う本こそが、自分の価値観の幅を広げる切欠になるかもしれません。
…ま、往々にしてダメ本だったりもしますが、新書一冊およそ800円。
「バカタレにならないクスリ」だと思えば、たまに試してみるのも、損ではないのではないでしょうか。