コアサーバーV2プランご契約でドメイン更新費用が永久無料

記事一覧

いい物

とは何か?という前回の振りですが、まぁ例によってクルマで考えてみます。
私にとっての「いいクルマ」の基準は何か?

世の中では「いいクルマ」とは「高級車」や「高性能車」を挙げることが多いです。まぁ確かにそれらはいいクルマであることが多いですが、私は別にそれを基準にはしません。

例えば、高級車の代表格である某ベンツなんて、最近のはもう本当に手軽に作られてますし、エンブレムが違うだけのトヨタ車ってのが実態です。
或いは高性能ってのも、基準にするには微妙です。何をもって高性能と呼ぶかにもよりますが、例えば一番分かりやすい走行性能、馬力なんかがいい例でしょう。長らく続いてきた国産自動車の「自主規制」の上限である「280馬力」は、一番分かりやすい「高性能」のシンボルでしたが、そんなもの3リッター級のエンジンにターボ積めば軽く出せます。事実、ワゴンなんかで280馬力ってのもありましたね。

高級も、高性能も、所詮その時限りの物です。時の移ろいによって、かつての高級も、かつての高性能も色褪せ、価値を著しく落とすのが常です。
ですので、私はそれらを価値の基準には置きません。

では、何か。

高級でも、高性能でもなく、私が価値を置くのは「高コスト」であること。
つまり「どれだけ手間をかけてその車を作ったか」です。

利益を得るために、低コストで作ってブランド力に依存した法外な値で売り捌くなんて真似ではなく
理想を掲げ、方法を考え抜き、その実現に向けて最高の手段で作り上げる。
そういう手の込んだ、コストのかかった作られ方をした物は、例え市場価格が落ちようと、性能面で最新の物に劣ろうとも、その存在感、意義、魅力は決して色褪せません。

時の侵食に耐えられる物こそ本当にいい物だと思いますし、製作者の天才に依存しない工業製品に関しては、高コストであることが「いい物」を作る絶対条件とまでは言わないものの、大きなファクターだと思います。

…ただ、この基準で言うと現代の車はほぼ全滅になります。

いい物を手間隙かけて作り上げるなんて事がもう出来ない時代になってしまいました。
いかにコストを抑えるかが最大の目標になった今の世の中の「正義」に対して、私の価値基準は全く相容れません。

しかし、この辺に、或いは問題があるのかもしれません。

人間はそれほど馬鹿ではありませんから、よく知らない物であったとしても物の良し悪しってのは大体、分かります。
手間隙かけられて作られたものには、独特の魅力がありますし。お気軽手軽に作られたものには、往々にしてそれなりの質感しか備えられていませんし、そんなものに魅力を感じることはあまり無いでしょう。
また価値観が多様化した世の中で物を売るにあたり、よく言われる文句に
「高付加価値商品」
ってのがあります。必要十分な性能にプラスアルファの価値を持たせた物が売れるって理屈です。
その通り。お説ご尤も。
ですが、それは往々にして低コストとは折り合いが付きません。

その辺りの矛盾、無理が、今のこの惨状を引き起こしているように思えます。

若年層の貧困化と、グローバリゼーションに突っ走った物作りの失敗。

果たしてこれを打開する方法はあるのでしょうか?
正直、私には分かりかねます。
自動車業界の中の人たちには是非、頑張って欲しいものです。

これからのクルマが「価値」を取り戻すまで、私は、古き良き時代の「いいクルマ」を愛することにします。

トラックバック一覧

コメント一覧