式一日。というわけで何とか無事に終えることが出来ました。
当日は前日までの雨がどこかに消え失せた快晴の朝10時にホテル入りし嫁の準備が始まるものの、私は暇なので、久しぶりの銀英伝読み直しも佳境に入った9巻を熟読しながら時間を潰し、ちょうど読み終えた辺りで元着物講師のうちの母親が到着。私の紋付羽織袴の着付けをしてもらい更に時間を潰すという行程。
途中、介添えのホテルスタッフが、うちの母の教え子だったとか奇遇なことも発覚しつつホテルを出発、まもなくで賀茂別雷神社(上賀茂神社)到着。
勅使殿(葵祭の際、斎王代らが詰める部屋)で待機。定刻になり静々と、拝殿に向かいます。拝殿に入ってからは、修祓、祝詞奏上、三々九度、指輪交換、誓詞、玉串奉奠、固めの杯という流れ。
祝詞奏上の前に、大祓とまでは言いませんが、禊祓は要るような気もしますが。それはそれ。
しかししみじみ思いましたが、私みたいな下賎な一般庶民が、勅使殿やその他国宝(世界遺産)施設を使えるわけですから民主主義ってのは凄いシステムです。さて、花嫁車でホテルに戻り、両家の親族紹介などを経て、いよいよ披露宴です。
ちなみに入場の曲は「My favorite things」のアレンジ版にしました。そうだ 京都、いこう。
主賓挨拶でうちの支店長が話す途中に、うちの課長が携帯を鳴らすという、うちの会社的には大笑いなアクシデントが起こるものの、他は特に何もトラブルは起こらず。あ、そう言えばキャンドルサービスの際、うちの会社の連中が蝋燭にバターを塗りたくったのでトーチが消えるというのもありましたが、私の中では全くの想定内なので、アクシデントと呼ぶに足りません。逆に意外というか、度肝を抜かれたのは、うちの高校時代の友人たちの余興。
通例ではぐだぐだのカラオケが行われるわけですが、今回はパワーポイントを使用した極めて真っ当な余興でして、個人的に今回の披露宴で一番驚きました。
というわけで、極々真っ当な王道とも言える宴が進行していくわけですが、私の中の懸案事項としてあったのが
新郎の結びの挨拶をどうするか。と言うことでした。
これまで色々なものの本などを読みながら、あまりにも定型なそれらにうんざりしつつ、かと言って余り奇を衒った物にするわけにも行かず、どうしたもんかと考えながらずっと定まらずにいたわけです。
そう言えば、昔、私小説風(笑)横浜披露宴紀行を書いた際に
「恐らく私は平均的なそれよりソツのない、それなりの話をするだろう、何の根拠も無いが自分でそう確信する」
などと、ほざいた記憶がありますので、何か一発かませないもんかと考えていたんですが、どうにも自力では全く思い浮かびません。お色直しの間も、何もすることのない私は徒然と考えていて、ようやく、ふと思い浮かびました。
自分で思いつかないなら、人のを借りちまえと(ぉ
というわけで、全ての出し物も終わり、うちの親父が無難に挨拶を済ませ、私にマイクが向けられました。
で、話し始めたその内容は、定型の謝意の後、今後の夫婦生活を送るにあたっての意気込み抱負を語る部分で、両家の主賓挨拶、祝辞、その他余興で語られたキーワードをパk…繋いだ話をしました。
何て言うんでしょうか。RPGやその他バトル物のアニメの最終決戦で、それまでのイベントやらを回想しながらテンションが上がっていくあの感じです。散りばめられた複線はちゃんと回収しないといけません。
まぁそんな感じでお話をしました。
しかし、流石に緊張しましたね。本当は、ホテルのスタッフへの労いも入れたかったのですが、その箇所を見出せませんでした。やはり完全アドリブには限度があります。適当にも程があります。まぁいいや。
と、全行程を終了し、ようやくお開き。だいぶ時間が押していたはずです。
遠方からの出席者には申し訳ないことをしました。
しかし、何というか。これだけ多くの人に「おめでとう」と言われ、カメラの砲列を向けられることは人生で一度でしょう。有り難い話です。これ以上ないくらい疲れましたが、これ以上有り難い話はありません。
さて、上で挙げた例の私小説で「ソツ無い話をするだろう」の続きに
「それが人の心を打つだろうか。それは全く自信が無い」
と、私は書きました。
心を打つのはやはり無理でも、わざわざ足を運んでくださった幾多の皆さんに、少しでも満足して頂けたら幸甚ですね。
s 2011年10月05日(水)22時39分 編集・削除
いや、いい披露宴だったよ。ありがとう。
さて次は子供だな。
男の子だったら海燕
女の子だったら可憐蘭
もうそれしかあるまいw