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時事問題

・小学生が天窓の上でジャンプ3回したら割れて転落死

何と言いますか、彼は被害者ですね。ゆとり教育の。小学校6年生にもなってガラスの上で飛び跳ねたりしたら割れるってことを知らなかったのですから。
これは学校と文部省が厳しく責任を問われるべきです。

・授業中遊んでいたことに注意を受けた中学生がドアを強引に閉め教師の指を切断。学校側は生徒を口頭注意

何と言いますか、もうひどいゆとり。

というわけで「ゆとり」という言葉ですが、本来「ゆとり」って「余裕がある」っていうポジティブな意味だったのですが、ここ最近特にネットの中では「ゆとり」=「頭がかわいそうな子」という非常にネガティブな意味に成り果ててます。ゆとりの価値大暴落。

一方、それとは逆に価値を上げてるのは「こだわり」という言葉。
本来は執着するという意味合いが濃く、ネガティブな意味が強かったですが、最近はそれを個性というか、オリジナリティと捉えるポジティブな向きがあります。

さてさて、「ゆとり教育」こそがゆとり世代の抱える問題の諸悪の根源だということで、学習指導要領は大幅に変わるみたいですが、しかし私には、今の子供たちの「ゆとり」と呼ばれる現状は、学校教育のせいだけではないように思えます。
と言うのも、ゆとり世代の引き起こす問題の多くは、必ずしも、学力の高低に起因しているとは思えないからです。
それは学力以前のもっと基本的な事柄。人としての最低限の知識とか行動規範とか。
所謂「躾」が全くなってない。
じゃあ躾を行うのは誰か?親ですよ親。学校や周辺社会も勿論躾の一翼を担いますが、あくまでもそれは親の役割です。三つ子の魂百まで。
モンスターペアレントなんかが象徴的ですが、親が、今、一番おかしい。
言い換えれば大人がおかしい。モンスター患者や基地外じみたクレーマー、更に「切れる中高年」
子供がどうこう言う前にテメェらがまず襟を正せと。
何か問題が起こるとその責任を全て他者に求める極めて自己中心的で低脳な所業が彼らの特徴です。
学校の所為、店の所為、病院の所為、社会の所為、全部他人の所為。自分は被害者、自分は絶対に正しい。
そりゃそんな親に育てられたら子供は狂いますよ。

上で「こだわり」という言葉を上げましたが、こだわりとはある種、自己完結する世界というか、排他性を往々にして含みます。大人たちがこだわり、子供はゆとり。言葉の意味の変遷は社会のそれに連動するってのはやはり真理ですね。
とは言え、この現状はとても褒められたものではありません。「ゆとり」が馬鹿にされる時代ってのはやはり何かがおかしいです。「ゆとり」が本来の意味を取り戻せるような社会は来るのでしょうか?
教育問題に取り組むなら、是非、排他性を捨てた「こだわり」をもってやってほしいものです。
また「躾」とは「わが身を美しく」
と書くわけですが、なるほど。昔の日本人は本当に巧く言ったものです。
そういう美点をなんとか後世に伝えたいものですね。

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